EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2022.7.19

ケヤキの傷跡の意味

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 谷中の散歩の話から

そこで見つけた地蔵さんの話になり

それは 東京大空襲の慰霊の為に出来たと言う話しから

 

東京大空襲は 下町だけでなく

今では戦争とは殆ど無関係の若者が集まる街 表参道にも

戦争の傷跡が残っていると言う話になりました。

 

よく表参道は通りますが 入口に建っている 石灯籠が黒ずんでいるのは

水垢か苔のせいだろうと思っていたのが

なんと 焼夷弾で焼けた人の脂が沁み込んだと知った時には

本当に 戦争の悲惨さを改めて感じ 何としてでも平和を維持しなければと言う

思いに駆られてしまいました。

 

この表参道は よく観察してみますと

他にも 戦争の傷跡が残されていました。

 

それが

表参道交差点に「みずほ銀行青山支店」があるのですが、

戦時中は「安田銀行青山支店」として建物が建っていました。

その支店手前に慰霊碑があるのをご存知でしょうか?

 

山の手大空襲に際して、多くの人々が、

火から逃れようとして堅牢であった銀行の建物前に逃げ込んで来たのですが、

そしてそのままこの場所で焼夷弾により多くの人が犠牲になってしまったのです。

空襲後には、この銀行のそばには多くの遺体が積み上げられていたと言われています。

犠牲者の慰霊の為に

みずほ銀行青山支店のすぐ近くに、「山の手空襲」追悼碑が建立されたのですが

殆どの方は気が付かずに横を歩いていると思います。

 

その追悼碑には 次の様に書かれています。

 

和をのぞむ

 

太平洋戦争の末期、昭和二十年五月、山の手地域に大空襲があり、

赤坂・青山地域の大半が焦土と化しました。

表参道では、ケヤキが燃え、青山通りの交差点付近は、

火と熱風により逃げ場を失った多くの人々が亡くなりました。

戦災により亡くなった人々を慰霊するとともに、

心から戦争のない世界の平和を祈ります。

 

港区政六十周年にあたり、この地に平和を願う記念碑を建立します。

平成十九年一月

港区赤坂地区総合支所

区政六十周年記念事業実行委員会

 

そして

もう少しこの参道にある けやきの樹を注意してみ観察して頂きたいのです。

 

表参道は、明治神宮の参道として、昭和9年に開通したのですが、

表参道のシンボルであるけやき並木は、昭和10年に植樹されたそうなのです。

しかし、山の手大空襲で、201本のうち13本のみを残して全焼したそうです。

現在のケヤキのほとんどは戦後に植え替えられてるのですが、

よく見ると 空襲により 焦げているケヤキが数本残されていることが分かります。

 

谷中のお地蔵さん近辺や 表参道を通る時は 是非 地蔵や 石灯籠

祈念碑 焦げたケヤキの樹をみて

平和を祈念して頂きたいと思います。

 

散歩の話から

いつの間にか どんどん話が逸れて

悲惨な戦争の傷跡の話になってしまいましたが

明日は

この太平洋戦争から遥か昔の 話に展開するよていです。

 

その話とは?????

 

それは?????

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/