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社長&顧問ブログ

2022.1.25

ソウル・サバイバー・ポリシー

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日は ノルマンディ上陸作戦の話から

映画 「プライベートライアン」 の話になってしまいました

 

「ノルマンディー上陸作戦」とは、正式名称を「ネプチューン作戦」と言うそうですが

我れにはノルマンディ作戦の方がなじみがあります、

1944年6月6日に連合軍が行なった、

ドイツ軍に占領されていた北西ヨーロッパへの侵攻作戦のことを指します。

 

なお、ノルマンディー上陸からパリの解放までの作戦全体の正式な名称は

「オーヴァーロード作戦」と言う様です。

 

この映画をご覧になった方は多いかと思いますが

『プライベート・ライアン』のあらすじは以下の通りとなります。

 

1944年6月。連合軍によるフランス・ノルマンディ上陸作戦は成功に終わったものの、

激戦に次ぐ激戦は多くの死傷者を出していた。

そんな中、オマハビーチでの熾烈な攻防を生き延びたジョン・ミラー大尉に新たな命令が下された。

ひとりの落下傘兵を戦場から救出せよ。

その兵士、ジェームズ・ライアン二等兵には3人の兄がいるが、

この一週間の間に全員が死亡。

兄弟全てを戦死させる訳には行かないという軍上層部は

ひとり残されたライアンをなんとしてでも故国へ帰還させようと考えたのだ。

ミラーは中隊から7人の兵士を選び出し、

生死も定かでないライアン二等兵を探すために戦場へと出発するのであった……。

 

と言う様な内容ですね、

 

この『プライベート・ライアン』という映画に関して、

そもそも 何故ライアン二等兵を救出しなければならなかったのか??

と疑問に思う方が居たと思います。

 

この映画の中では ライアンは3人兄弟の末っ子で

兄二人が戦死したので  参謀総長命令で 家族が可哀そうだから

何とか助け出せ みたい なシーンがありましたが、

 

これには 訳があるのです。

 

答えとしては、アメリカ軍に、

「Sole Survivor Policy(ソウル・サバイバー・ポリシー/唯一の生存者規定)」

という規定があるためだったのです。

 

このような規定が根底にあった事を知ってる日本人は少ないと思います。

 

この規定は、兄弟全員が出征している場合に全兄弟の戦死を避けるために設けられ、

他の兄弟たちが皆戦死してしまった際には、

最後の1人は任を解いて本国に帰還させなければならない、

といった内容になっています。

日本軍であれば あり得ない規定ですね、

国の為に亡くなったら 英雄という事にしてしまいますから。

 

ただしこの法律は 戦後出来ていますので

この映画の時には この法律は適用されてないはずでので

あくまでも

ここは作り話だったという事になりますね

 

実話としては、

サリヴァン兄弟が居て 彼らは5人は同じ巡洋艦に乗っていました。

ところが敵の攻撃により、兄弟5人が戦死してしまったのです。

一家の兄弟が全員戦死してしまったこの出来事は、アメリカで知れ渡るようになりました。

この事がきっかけとなり この規定が出来たそうなのですが

 

いかにも アメリカ的ではないかと思います。

 

そこで 本筋の話に戻らなければなりませんが

 

何故 連合軍は このノルマンディを上陸地点と決めたのか??

その事は ドイツ軍にばれていなかったのか???

何故 この日の事を Dデイと呼ぶのか????

いったい フランスのどんな場所なのか??????

 

については

 

明日に続く、、、、、。

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