EXECUTIVE BLOG
2020.12.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは ITから離れてずっと歴史の話になっています。
歴史は後の人が色々と勝手な解釈を行ったりするので
悲劇の物語も 英雄伝になってしまったりすると思います。
昔の人は 戦が好きだったみたいに思いがちです
実際戦国時代 関ヶ原の戦い 戊辰戦争 から 近代の戦争まで
沢山の戦がありましたが
その時代の一人一人だって 死ぬのは嫌だったでしょうし 切られたら痛かったと
思います
しかし そこに 命令やメンツがあり 仕方なく戦ってた人が多かったのではと
思います
太平洋戦争でも 召集令状で集められた兵隊は 無理やり戦地に行かされ
激戦地で多くの人が戦死しているのです。
そして 今回の話に続くことになりますが
それらを指導した当時の 軍人 政治家が戦争犯罪人として捕らえられ
A級戦犯と言われる7人は 極東軍事裁判で絞首刑を言い渡されたのです。
この 裁判も裁判と言うような内容ではなく 単なる復讐劇を 世界に発信した
見世物だったと言われているのです。
裁判には 当然裁判官が居るのですが その殆どが 日本憎しの裁判官でした。
それ以上に裁判における過程で 逮捕状の日 死刑判決のに 処刑の日を
全て 天皇家と関係ある日に当てて
日本人が向こう五十年間 おめでたい日が来るたびに 忌まわしい出来事を思い出させるように仕向けていることを考えると 何かむなしくなります
そして 処刑にする罪状が 平和に対する罪 と言う法律を
戦後作ったうえで これに反したから死刑だと宣告するので
法律家でなくても無茶苦茶な判決だと分かると思うのです。
しかし ただ一人 これに異を唱えたまともな裁判官が居た事を我々は忘れてはなりません。
その裁判官の名前が パール判事なのです。
パールは日本に対して無罪とはいってはないのですが
ただしA級戦犯が「平和に対する罪」を犯したとして処刑されたことに、
真っ向から反対した人です。
「平和に対する罪」は犯罪ではないと言っていたのです
それは、
当時の国家にはそれぞれ交戦権があり、
他国に対する武力行使を犯罪とする国際法は存在しなかったからだったからです。
これが犯罪であるのであれば
戦後の 朝鮮戦争 ベトナム戦争 中東戦争もすべて犯罪で
指導者は罰せらるはずですね。
先日書いた 忠臣蔵は仇討の物語ですが
戦後占領軍は この物語の上演や上映を固く禁じていたそうです
もしや日本人が仇討だと騒ぎだし 再び戦争を始めるのではと危惧したからです
まさに勝てば官軍のなせる業です
もうほとんどの人が忘れてしまっている A級戦犯とはなにで 誰が処刑されたのか?
その中に 軍人ではない人までいたのです
その人は 一体何故処刑されたのか?
それは
明日に続く、、。