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社長&顧問ブログ

2020.12.20

ミズリー号甲板で降伏調印

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

極東軍事裁判は 事後法で 後から作り上げた法律によって

多くの軍人たちが裁かれたと言う話でした

 

今日の話は戦争犯罪人の起訴までの話になります。

 

ソビエト連邦のポツダムによって行われたポツダム宣言の合意に基づいて、

1945年7月26日にアメリカ、イギリス、中華民国の名において大日本帝国に対して無条件降伏を求めるポツダム宣言が発せられた事は前にも書きました。

 

その宣言の中には

「我らの捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰が加えられる」と書かれていたのです。

 

さらに、同年8月8日に

イギリス、アメリカ、フランス、ソビエト連邦の4ヶ国が

「欧州枢軸諸国の重要戦争犯罪人の訴追求お呼び処罰に関する協定」(ロンドン協定)を締結し、それらを日本が受諾しまして 無条件降伏を受け入れて

9月2日には日本の降伏文書調印式が戦艦ミズリー号の甲板で行われています。

 

その後、

ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が中心になって

東条英機を逮捕し、戦争犯罪人容疑者のリスト作成が行われました。

この際、アメリカ政府は、

占領政策の円滑化のために日本に天皇が欠かせないという認識があったため、

昭和天皇の訴追は行わいように各方面に働きかけたのです。

 

アメリカ軍の憲兵司令部へ出頭命令を受けた戦犯容疑としての逮捕者は126名。

それ以外に5名が逮捕・出頭前に自殺しています。

中でも28名がA級戦犯として昭和天皇の誕生日4月29日に起訴され、

病死や精神障害により裁判を終了できなかった3名以外の25名が判決を受けました。

さらにそのうち7名の男性がA級戦犯として死刑判決を受けたのでした。

 

東條英機(陸軍大将、元首相)土肥原賢二(陸軍大将) 松井石根(陸軍大将)*

武藤章(陸軍中将)板垣征四郎(陸軍大将、元陸軍大臣)木村兵太郎(陸軍大将)

広田弘毅(元首相)

 

この7人をよく見てみますと 6人が軍人ですね

そして ただ一人軍人でない 元首相の広田弘毅 だけが文人です。

何故彼が A級戦犯で死刑判決を受けたかは 別の機会に書かせて頂きます。

 

この7人は、

なんと当時の皇太子明仁親王の誕生日である1948年12月23日、

真夜中の巣鴨プリズンで絞首刑を執行されてしまったのです。

何故これら天皇、皇太子の誕生日を起訴や死刑執行日に選んだのかは、

訴追できない天皇に対する連合国側の意図があったと言われています。

米国は 日本人にとって一番大切な日と思われるこの日を迎えるたびに

忌まわしい戦争を思い出させ敗戦国であることに意識させようと言う

魂胆があったという事だったのですが

 

当の日本人がそんな事を忘れてしまっていたのではと思います

平成時代は 12月23日は休日で クリスマスイブの前日と言う

浮かれていた人の方が多かったのではと思います。

しかし 平和を考える上でも この日は決して忘れてはならないと思います。

 

では 広田弘毅は 軍人でもなかったのに

何故 死刑になってしまったのか?

 

広田弘毅は 福岡県出身で名門修猷館高校を卒業しています。

何故 広田が処刑されたのか

それは

 

明日に続く、、。

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