EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2020.7.8

ライオンズを返せ!

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

最初に取得したビジネスモデル特許についてでしたが

どのような発想からそれを思いついたのか?

と言う話から 情報協同組合的な組織を作る必要がある事

単なるポータルサイトではなく 非常識な発想からそれを生みだすことに

なるのですが そのもとにあったのが 野球であり

始めてドーム球場に行ったときに閃いたと言う話でした。

 

話は またまた逸れてしまいますが

野球は それなりに好きで 地元球団を応援していました。

それを テレビや翌日のスポーツ新聞を見て楽しんでいて

球場に足を運んで応援すると言うことはしていませんでした。

 

そもそも 何故球場に足を運ぶことになったのか?

について 書いてみたいと思います。

 

昔は 野球と言えばジャイアンツで 日本中の少年はほとんどが

ジャイアンツファンでした。

私も 東京に居た少年時代は YGマークの野球帽を被っていたのを

覚えています。

 

しかし 福岡に移ってからは ジャイアンツと言うよりも

地元西鉄ライオンズのファンが圧倒的に多く

その昔 ライオンズは日本シリーズでジャイアンツに3連敗したのちに

4連勝して 日本一を手にするのですが

田舎の野球ファンにとっては ジャイアンツを破って日本一になることが

夢であり誇りだったのです。

 

そういう環境の中に居ると 自然地元球団を応援するようになり

西鉄ライオンズをいつの間にか応援することになったのです。

 

しかし 鉄道会社も不景気になり 選手も補強もままならず

往年の名選手は引退していくと

あれだけ強かったチームが パリーグのお荷物球団になりさがり

毎年最下位争いをする弱小球団になって行ったのです。

 

それでも まだ高校生だった私は 最下位でも地元球団を応援していて

翌日学校で 昨日の野球の話で盛り上がっていたのです。

 

しかし 西鉄もいつまでもお荷物の球団を持ち続けることが出来ず

身売りすることになり

しばらくは 地元の球団として残っていたのですが

 

ある日 この地元球団があろうことか 九州から遠く離れた

埼玉西武ライオンズとして身売りされてしまったのです。

 

この時 どれだけの 九州のファンが嘆き悲しんだことか、、。

 

それでも ライオンズの名前が残っている 西武を地元でもないのに

関わらず応援するファンが多くいました。

 

それほど 皆 ライオンズに思い入れがあったのです。

 

いつかは

このライオンズは また福岡に戻ってくると信じて

当時は このような歌が流行っていたのです。

参考までにお聴きください

https://www.youtube.com/watch?v=FoBjRP-Qmlw

 

最近の方はこの歌の存在も知りませんし 聞いた方は皆

馬鹿にして笑います。

しかし ファンであった我々は当時真剣に学校でもこの歌を歌っていたのです。

 

年月が経ち ライオンズは埼玉のものだと皆思うようになるのですが

 

球団が去ってから 思わぬ事態が福岡を襲うことになるのです

 

これでは 福岡はどんどん悪くなってしまう事です

 

その事態とは??

 

特許取得の話からまたまた大きく話が逸れだしましたが

この事があったので 球場に足を運ぶようになり

特許取得のアイデアに繋がるのですから

人生とは本当に面白いです。

 

1978年に 球団が西武に移転して

1993年に福岡ドームが出来るのです

そして2000年にIT時代が訪れ

最初のビジネスモデル特許を思いつくことになるのです。

 

福岡に球団が戻らなかったら思いついてなかったのです。

 

そして戻るようになった事態とは???

 

 

それは

 

明日に続く、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍

 

高光産業株式会社 妹尾八郎監修の書籍(Amzon)

次の記事へ