EXECUTIVE BLOG
2021.10.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
我が社にもNPSの指導が入って
今まで通りの やり方では仕事が出来ないどころか
協力すればするほど 自分の首を絞めることになり
結局は 倉庫業の命とも言える在庫が無くなる仕掛けを
自分自身の手で行わなければならないと言う話でした
この時 この流れに逆らうよりも積極的に協力をすることを
選択肢して
そこで学んだ事を 新しい営業手法に活用したほうが良いと
頭を切り替えて行ったのです。
コンサルに頼めば相当な金額になるものを 実地で学べると考えれば
辛い仕事を押し付けられていると言うより
明るい将来の為だと思う事で辛さは感じませんでした。
まあ しかし 新しい取組を行おうとすると
身内からの反発に合うのも世の常かもしれませんが
この仕事を 押し付ければ反発も強くなるのでしょうが
この時は
私が積極的に現場に入り 汗を流して作業を行い 早朝から深夜まで取り組んで
居る姿勢を見せる事で だんだんと皆も協力しだすことで
予定通りカイゼンは進んで行ったのです。
ここからの話は 又長くなり
いつまで続くか分からなくなるので
又別の機会という事にしますが
ここから学び 物流業界では初めての
共同物流から24時間倉庫解放すると言う スルー型配送を構築して行くことになるのでした。
という事で
今日は 昨日 ブログの中で何気なく使ってしまっていた
「火中の栗を拾う」 について考えてみたいと思います
我々は 時々 正式な意味も理解せずに 熟語を使ったらしますが
使い方が 間違っていたという事も度々ありますね
いつも 何にでも興味を持ちましょうと話していますが
昨日 自分自身 火中の栗を拾うと書いた後に この語源はどこから来たのだろうか?
また 使い方を間違ってはいないだろうとと思ったのです
そこで 火中の栗の事を少し調べてみました
「火中の栗を拾う」という言葉は、「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すことの例え」として使われていますね、
この言葉はフランスで生まれた諺だったのです。
17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌが使ったといわれているのですが
ある時、暖炉で焼ける美味しそうな栗を見ている猿と猫がいた。
猿が猫に
「君なら、あの火の中の栗でも上手に取り出せるんだろうね」と言った。
そこで、猫は大火傷を負いながら栗を拾い出した。
ところが、猫が苦労して取り出した栗は、ずる賢い猿に全部食べられてしまった。
結果的に、猫はひどい火傷を負い、栗も食べられないという散々な目に遭った。
このような話から「火中の栗を拾う」という言葉が生まれたと言われているのです。
この言葉は
「危険なことや困難なことを率先して行う」という意味で使われる場合もありますが、
本来は上記のような話から
「他人のために危険を冒して馬鹿な目に遭う」という意味だそうなのです
この言葉は「他人のために」というのがポイントとなり
英語では「Pull someone’s chestnuts out of the fire.」(火の中から誰かの栗をつまみ取る)や「To take a risk for someone.」(誰かのためにリスクを負う)のような表現が見られれます。
ちなみに、ラ・フォンテーヌは
「全ての道はローマに通ず」という有名な格言も残しています。
ローマ帝国が全盛の時代には、世界各地からの道がローマに通じていたことに由来する言葉ですね。
手段は違っても目的は同じであることの例えであり、
真理は一つであることの例えとして使われています。
知らない事を知ると面白いですね
明日は この諺から 日露戦争を思い出しました
その内容とは???
それは
明日に続く、、、。