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社長&顧問ブログ

2021.10.24

万世橋駅???

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

日露戦争の話から 203高地攻撃 そして旅順港閉塞作戦の話になってしまいました。

 

この作戦に参加していた 広瀬中佐が 部下を探している中

敵弾に斃れて 戦死したのですが

この 勇敢な行為に対して 広瀬中佐は 後に 軍の神 すなわち軍神として

祀られることになったのです。

 

その広瀬神社は 大分県の竹田市にあります。

 

さて この広瀬中佐が 探していたと言う部下が

杉野兵曹長だったのです。

 

艦内を三度探せど 杉野は見つからなかったのですが

 

この 杉野兵曹長が 生きていたのかどうかは 諸説あるようで よくわかっていません。

 

しかし

彼も 広瀬中佐を敬愛していたので この 命がけの作戦に参加したのだと思います。

 

戦後 この二人の行動は 国民から称えられることになるのです。

広瀬中佐の神社は その後 竹田市に建てられるのですが

 

二人を称える銅像が実は 昔建てられていたことを知る人は少ないと思います。

 

それもそのはずで この銅像は 昭和22年に撤去されてしまったからです。

 

 

 

今日は この銅像についてです。

 

一体この銅像は どこに有ったのか????

と言うと

 

これが

場所は東京の万世橋駅の前にあったのです。

 

ちょっと待って 万世橋は聞いた事があるが 万世橋駅などないよと言う方が

いるかと思いますが

 

万世橋駅はかつて存在した駅なのです

 

神田と秋葉原の中間くらいに有った駅ですね

 

その駅前に かつて 下記の写真の様な立派な 銅像が建っていたのです。

 

銅像の下の方が 杉野兵曹長で 上に立っている軍人が 広瀬中佐です。

この銅像は、旧日本軍のイニシアチブによって広瀬中佐の功績を讃える目的で設置されました。

1910年のことです。

広瀬の戦死が1904年、日露戦争の終結が1905年ですから、その5年後ということになります。

 

国民の戦意高揚の狙いがあったのでしょう。

 

しかし

何故 戦後 この銅像は撤去されたのでしょうか???

 

そこには

驚くべき事実が隠されているのです、、。

 

 

その事実とは????????

 

あまりにも理不尽だと思うのですが

 

その内容は

 

明日に続く、、、、。

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