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社長&顧問ブログ

2019.11.17

中浜万次郎の数奇な運命

高光産業株式会社 妹尾八郎です。

 

昨日からの続きです、

 

坂本龍馬の 薩長同盟のきっかけを作った

少年は ジョン万次郎でしたと言うのが

昨日までの話でした。

 

 

そのジョン万次郎の アメリカでの生活に少し触れてみます。

 

当時は鎖国されていましたので、日本からアメリカに行くことは出来ませんでしたので、

ジョン万次郎がアメリカに訪れた初めての日本人となりました。

ジョン万次郎が船長の養子となり住んでいたのは、

「マサチューセッツ州フェアヘーブン」という所です。

 

この場所で幸運な事に沢山勉強をさせてもらい、

英語が全く喋れないところからスタートしたにも関わらず、

ジョン万次郎は主席卒業するほど努力したのでした。

貧しい生まれで勉学をそこまでしていなかったことを考えますと、

凄く努力したことが想像出来ますよね。

 

 

アメリカの学校を卒業した後、ジョン万次郎は捕鯨船に乗ることで再び海の男になります。

そして、数年間経った後に日本に帰国することを決意しました。

決意したと言うより やはりどうしても故郷に帰りたかったのです。

 

しかし そのまま 日本に帰れば 鎖国の国ですから入国は禁じられますし

もし入れば 死罪になってしまいます。

 

それでジョン万次郎は現在の沖縄県に上陸し、

その後薩摩に送られ、海外の事を研究していた島津の殿様に二年間幕府に内緒で調査を受けます。

そしてようやく、生まれた土地である土佐に戻ることが出来ました。

この時、土佐で尋問を受けていたのですが

その時に尋問に立ち会っていたのが 河田小龍だったのです。

 

ここで 先に書いた話につながるのですが

たまたま そのころ東南海地震が起こり たまたま 龍馬が土佐に戻って来てて

たまたま 被災した河田小龍が 龍馬の家の近所に引っ越してきて

たまたま 外国に詳しい人が居るとの噂を聞いて 河田小龍と面談することになり

欧米の話を学ぶことから

薩長同盟の考えが閃いたのですね。

 

 

前から書いているように 歴史も奇跡の連続で 必要な時に必要な人間が絡み合うので

面白いのです

 

誰かが脚本を書いているとしか思えなくなるのです。

 

 

それで 今回の話 ジョン万次郎の養父のイジメが なかったら

アメリカに行くこともないし 坂本龍馬がアメリカの実情を知る事も

無かったと言う事になるのです。

 

 

こんな 奇跡の連続の中に私たちもいるのです

 

そして

 

私自身が その奇跡の連続の中での出会いにより

ITへの道へと進んで行くのです

 

やっと 本論に戻れそうになってきました

 

 

続く。

 

 

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