EXECUTIVE BLOG
2024.3.24
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは、博多総鎮守が 博多櫛田神社と言う話から
東京の総鎮守はどこだろうと調べたところ
それは 神田明神だったと言う話でした。
神田明神は 徳川家康も参拝していて いろいろご利益があったようです。
そのせいなのか 徳川将軍家は 15代続きましたが
この徳川宗家 いわゆる我々で言う所の 本家は 現在19代目で
その方は 徳川家広さんと言う方だそうです。
さすが徳川家 いまだに残っていて 引継祭も行われている由緒正しき家柄である事には
間違いありません。
今でも 神田明神にお参りしているのでしょうか?
この引継祭に 15代将軍に仕えていたあの方の子孫も駆け付けたと言うのですから
驚きです
で 今日は あの方の話に進む予定でしたが
またまた 話が逸れます
博多の総鎮守が櫛田神社ならば 地域を広げて 九州の総鎮守というのが
あるのだろうか?? と思っていたところ
それが
あるのです、、、、。
九州総鎮守とは、九州地域全体を守護する神社を指しますね。
それがどの神社かと言いますと、
諫早市に鎮座する諫早神社が九州総守護の神社とされているようです。
諫早神社は九州の歴史や文化に深く関わり、多くの人々に信仰されていて
九州の守り神として、その神聖な存在が地域社会に根付いているそうです。
もともと 諫早神社は 四面宮と言われていたそうですが
それが 明治の初めに 諫早神社となったそうです。
しかし
今度は 次の疑問が湧いてきますね
それは 何故諫早神社は もともと四面宮だったのか???
そして そもそも その四面宮とは????
の 話は????
難しい話ですが
明日に続く、、。。