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社長&顧問ブログ

2020.2.28

二・二六事件と麻布十番

高光産業株式会社  妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

麻布十番ネタもおわり

 

何故私が 麻布十番に行くようになったのか?

の話に進まなければなりません。

 

 

今日は もう少し 麻布十番ネタにお付き合い頂きます

 

最近は暖冬で 雪があまり降りませんが

 

昭和十一年 二月二十六日は東京は大雪だったのですよ。

 

そして その日に起きた 大事件が 二・二六事件です。

 

若い方は 殆どこの事件の事を知らないと思いますが

この事件と 麻布十番が少なからず関係があるのです。

 

麻布十番にあるパティオ十番から一本松に向かって少し行くと、

左側に賢崇寺の石門、本堂につづく石畳の坂道があり側道の階段を上って行くと

曹洞宗 興国山賢崇寺があります。

この寺は、佐賀鍋島藩歴代藩主の菩提寺として寛永12年(1635)に創建されてます。

 

ここに、

詩人蒲原有明、国学者久米邦武、「真白き富士の嶺」の哀歌で知られる七ヶ浜沖ボート転覆事故犠牲者の逗子開成中学生徒や、

2 26事件受刑者22士の墓があるのです。

 

二・二六事件とは

昭和11年(1936226日に起きた陸軍の皇道派青年将校を中心とするクーデター未遂事件で、決起部隊は首相官邸・警視庁・朝日新聞社などを襲撃し閣僚等を殺害しました。

 

その後

決起部隊は反乱軍とされて鎮圧され、十七名が処刑され、

又この事件に関わった二十二士のお墓がここにあるのです。

 

 

昭和11年2月26日、雪の未明に起きた二・二六事件は、

祖国の将来を憂い決起して軍閥に挑戦した青年将校達のクーデターですが、

2日後の今日と同じ28日に

「叛乱軍は原隊に帰れ」との奉勅命令が下され、

戒厳司令部は次のような「兵に告ぐ」というビラが撒きます。

 

  『今からでも遅くないから原隊へ帰れ。

   抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する。

   お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ。』

 

決起将校たちの「昭和維新」の夢は断たれ、事件後、2名が自決、首謀者17名は死刑、

関連事件で3名が処刑されました。

反逆罪の汚名を着せられ死んだ将校等の遺族も、罪人の身内としての視線に晒され、

また、憲兵隊、警察の監視下で遺体の引き取り遺骨の埋葬すらできない状況だったのです。

 

そのような情況のなかで、

首謀者の一人栗原安英中尉の父栗原勇大佐は、賢崇寺の第二十九世住職藤田俊訓師に入門、得度して、遺体の収容、遺骨の供養、遺書の保管、遺族との連絡に奔走し、

また、藤田俊訓師は、憲兵隊、内務省、警察等へ、遺骨埋葬合同慰霊祭の許可、

墓碑の建立を願い出たのですが、

死罪処刑者の公の法要は禁じられ、なかなか許可は下りなかったのです。

 

「死すればみな仏」と説く藤田俊訓師の信念と献身的な努力、僧籍に身を置いた栗原大佐の情熱がやがて憲兵隊や警察を動かしてこの賢崇寺で供養が出来るようになったのです。

 

二・二六事件からもう84年の時間が過ぎようとしている今、

いつまでも平和であって欲しいと思いますね。

 

今日も話が逸れてしまいましたが

 

二・二六事件と麻布十番の話を書かせて頂きました。

 

明日は この麻布十番へ行くまでの話に続きます。

 

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