EXECUTIVE BLOG
2022.5.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 振袖火事の話から 八百屋お七の話になって
火事で焼けた吉祥寺のも門前に住んでいた住民が 強制的に武蔵野へ移されたが
元住んでいた吉祥寺を忘れることが出来ず その武蔵野の地の名前を吉祥寺村と
名付けた事から今の吉祥寺になっていると言う話でした。
ホントの吉祥寺は文京区にあるのです。
で これだけでは 今の吉祥寺迄発展しなかったと思われますが
ある災害が起きたことで 吉祥寺は更に発展することになるのです。
それは
大正12年(1923)に起こった関東大震災です。
この大震災により東京の街が焼け野原となってしまいました。
その時に被災した多くの人が吉祥寺に移り住んだのです。
その結果人口が急増して農村から住宅地へと大きく変貌を遂げるようになったのです。
それから 都民が住みたくなるナンバーワンのエリアへと発展するのですから
大火事と大震災によって生まれた町だと考えて良いのではと思います。
さて 吉祥寺にはお洒落な憩いの公園がありますね
それが井の頭公園です。
吉祥寺と渋谷を結ぶ京王井の頭線もこの公園の名前から付いた路線ですね。
では「井の頭」にはどんな名前の由来があるのだろうか?
井の頭の名は徳川三代将軍、家光の命名になるものという説があるのです。
お隣の三鷹に「鷹」の字が入っているように、
この近辺には徳川歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場があり、
小高い丘に御殿を造営して休息所を建てたのです。
これが公園内にある御殿山の名前の由来ですが、
池の名を井の頭としたのも家光であると言われています。
弁財天の傍らにあるこぶしの木に、「井戸の頭」の意味で「井の頭」と文字を刻んだのが池名の由来と言われています。
さらに別説には、家光が「えんかしら、この水の美しさ」と池の美しさをたたえ、
その「えんかしら」が井の頭になったという説もありまが 他にもあるようで
本当はどうなのか? は わかりません。
吉祥寺の話になってしまいましたが
文京区にある お寺の方の 吉祥寺ですが
なんと ここには あの人たちのお墓があったのです
それは 誰なのか???
は
明日に続く、、、、。