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社長&顧問ブログ

2022.5.14

文京区の吉祥寺

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは 明暦の大火で江戸の殆どが被災して

江戸にあった吉祥寺の周辺の住民が 武蔵野の地に移住したことで

その地が 吉祥寺となったと言う話でした。

 

と言うことで 今の吉祥寺には お寺の吉祥寺はないという事なのです。

 

でこのお寺の方の吉祥寺ですが

意外な人物のお墓があることが分かりました。

 

その人物は ここのブログでも登場した二宮金次郎です。

意外な場所に意外な人物のお墓がある事を発見したのでした。

 

では 何故二宮金次郎の墓が 吉祥寺にあるのか? という事に

興味が湧きますね

 

二宮尊徳を祀る神社は、

生地の小田原(報徳二宮神社)と 終焉の地・今市(報徳二宮神社)、

それに仕法の地・栃木県真岡市(桜町二宮神社)と要地に建立されている事は知られていますが

その墓所はあまり知られていないのです。

二宮金次郎が亡くなったのは 明暦の大火から 約100年後の1856年でした。

 

実は、没後84年にわたって金次郎は埋葬されずお墓はなくて彼の遺骨は吉祥寺に保存されたままになっていたのです。

 

二宮尊徳の評価が高まったのは、国粋主義的な機運の高まりの中、

幸田露伴が明治24年に『二宮尊徳翁』を著してからですが、

この幸田露伴の著作の中で初めて薪を背負って読書をする

「負薪読書図」が描かれているのです。

 

明治の政治家で軍人であった山縣有朋を中心に、忠君愛国的な考えから

小学校に薪を背負った二宮尊徳像が立てられて行ったのでした。

 

そして太平洋戦争が始まる直前の昭和14年に

「幼い時代から日本国民の良き教材として偉大な役割を果し、

尊敬の的となっている尊徳翁の遺骨が埋葬されず安住の地を得ていないことは

偉人に対してこの上ない非礼でもあり、遺憾なことである」

という理由から

中村本郷区長(今の文京区)らが中心となって遺骨を埋葬したのが、

吉祥寺に現存する二宮尊徳の墓となったのです。

 

当時の新聞によれば、この吉祥寺の墓が、

「報徳精神の聖地とし帝都の一名所にしようという運動が進められ着々具体化している」と記されています。

金次郎も 大日本帝国の精神に悪い言い方をすれば利用されてしまったという事になります。

 

本来の二宮家の菩提寺は小田原の善栄寺なので 何故本郷の吉祥寺にお墓が出来たのか?

にも疑問が残りますが、

二宮尊徳の子・尊行は、小田原の善栄寺には二宮尊徳の歯と遺髪を納めてはいたようなのですが、

遺骨そのものは曾孫の二宮徳の代になるまで納骨せずに手元にとどめていたようです。

 

この曾孫の二宮徳が吉祥寺を菩提寺と定めるのですが

大正12年に仕事の関係で南洋方面視察の旅に出発することになった為に、

遺骨をとりあえず吉祥寺に預けて出発してしまったのです。

ところが、なんと言う事か、この徳さん、

途中、船内で病死したため、吉祥寺に保管されたままになっていたと言うのです。

 

それでそのままの状態であったのが やっと昭和14年になって偉大さが評価されることでやっとお墓に眠れるようになったと言うのです。

亡くなってからも 色々物語があるもんだと思います。

 

この吉祥寺ですが 私の東京の家からも近いので

早速散歩がてら探索してみたところ

 

他にも意外なモノを発見してしまったのです

 

何を発見したのか????

 

それは???????

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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