EXECUTIVE BLOG
2021.10.16
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
日露戦争の話で
当時の風刺画から世界情勢が読み取れると言う話でした。
日露戦争は 結局は日本の勝利に終わっていますが
世界中の誰もが ロシアが当然勝つと思っていたようです
そこには 勝利に導いた戦略があったからで
イギリスにそそのかされ戦ったとは言え 日英同盟を結べたことが
要因の一つだったようです。
しかし 日英同盟を結んだだけでは勝てませんね
203高地では 多数の犠牲者を出して 乃木大将は戦っていますし
日本海海戦においては 東郷平八郎率いる連合艦隊が猛訓練を重ね
そして 海戦では あり得ない作戦 敵艦に横腹を見せる作戦
すなわちT字作戦により バルチック艦隊を撃破したのです。
しかし その時には 国力のほとんどを消耗していましたので
それ以上の戦いは無理だったようで
早急に和平に持ち込まなければ 持久戦になってしまえばロシアが圧倒的に
有利になってしまいます。
太平洋戦争では 日本軍が勢いがある時に和平交渉に持ち込まずに
そのままずるずると消耗戦へ入り込んでしまい
相次ぐ玉砕が続き 本度までは焦土と化してしまったのです。
この時に何故明治の先人を見習わなかったのか? と思ってしまいます。
それで 勢いがある時に和平に持ち込むことになるのですが
それが 風刺画の後ろに立っているアメリカを活用する作戦だったのです。
日本は戦争を終わらせる仲裁役として、
大国アメリカを何とか味方に引き込みたいと
伊藤博文はそのことを真剣に考えて、
時のアメリカ大統領T・ルーズベルトとハーバード大学の同窓生である、
金子堅太郎に白羽の矢を立てたのです。
アメリカは当時、中立の立場を表明しており、
国民に向けて「いずれか一方に加担するような言論を禁止する」と布告を発していました。そういう中で、いかにしてアメリカ世論を動かしていったのでしょうか?
それは、金子の器量の大きさに尽きると言っても過言ではないのです。
ルーズベルトは柔道を習ったり、新渡戸稲造の『武士道』を愛読して子供にも読ませていたりと、非常に親日的だったのです。
加えて、金子に絶大な信頼を寄せており、
ホワイトハウスに面会に来た金子を駆け足で出迎え、私邸にも泊めていたそうです。
そして
ルーズベルトはイギリスやフランスの外務大臣に手紙を出し、
日本が有利になるよう働きかけをしてくれたのです。
これは金子からの要請ではなく、自発的な行動だったと言うのです。
ここに、金子とルーズベルトの友情を見る思いがしますし
この関係を上手く続けていれば 太平洋戦争は起きなかったのかもしれません。
こういう 当時の人々の努力が実を結んで
日本はボロボロになりかけていたにも関わらず 一応勝利をつかむことが出来たのです。
当時の方々も 情報をきちんと収集して分析した結果が吉と出てるわけです
昔も今も 情報は大切だと改めて思います。
そこで 明日からは
その情報の大切さの話に 戻らなければならないところですが
この日露戦争における 日本の勝利が
思わぬところで効果が出ていたのです
あんな遠い国、当時 多分殆どの人が聞いた事も無い国でも
この勝利は大きな影響を与えたのでした。
それは
どの国なのか????
そして どのような影響を与えたのか??????????
それは、、
明日に続く、、、、。