EXECUTIVE BLOG
2020.9.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
と行きたいところでしたが
またまた 話が逸れてしまいます。
昨日 仕事の関係で 左官の関係の仕事をされている方が来られました。
仕事の話は 左官の話ではなく 健康に関する話だったのですが
ふと 左官とは何か 語源が何なのか?
左官があるならば 右官も あったのではと興味が湧いたのです。
普段耳にする言葉も 意味を考えてみると
そんな歴史があったんだ、と分かることがあります。
今回の左官の意味を紐解いてみると 聖徳太子の時代に遡ったのです
聖徳太子といえば遣隋使の派遣をはじめ、冠位十二階・十七条憲法を定めた飛鳥時代の政治家として知られていますが、
なぜか「大工の神様」と呼ばれていたのです。
一説によると、
聖徳太子は現代に伝わる大工道具の「差し金(曲尺)」を中国から持ち込み、
日本の職人たちに広めたといわれています。
また、建築に携わる職人の育成や組織づくりに努め、
法隆寺をはじめとする寺院の建立にも尽力したことから、
建築・土木の守護神として信仰され、「大工の神様」と称されるようなったのでしょう。
ちなみに、聖徳太子がつくった建築技術者の組織では、
土にかかわる職人を「左官」、木にかかわる職人を「右官」と呼んでいたそうです。
このうち左官は、塗装職人の名称として現在も残っていますが、
右官は後に大工という名称に変わり、
さまざまなさまざまな専門ジャンルに枝分かれしていきました。
この右官に代わる「大工」という名称が登場したのは、
奈良時代に入ってからのことで、
寺社や朝廷の建築物を担当する木工寮という役所がつくられ、
その中の職人のランクとして「大工」「小工」「長上工」「番匠工」という役職が置かれました。
つまり、もともと大工は「職人の長・上位者」という位置づけで使われていたのです。
その後、室町時代に入ると、上位職人は「棟梁」という呼び名に変わったのです。
時代劇を見ると
棟梁と呼ばれている方は大親分的な人が多いようです。
話は またまた まったく変わって
ぺーリーが日本に来て 米国大統領の親書をもって来ました
もちろん英語で書かれています。
確か 当時の大統領はフィルモア大統領だったと思います。
この時 幕府は プレジデントをどう訳せばよいのか 頭をひねっていたのです。
当時の日本では 平民が国のトップになると言うことは まったく理解できませんから
国王とか殿様くらいしか思いつかないのです
先ず選挙で国のトップに立つという意味すら理解できなかったと思います。
そこで幕府で なんと訳せばよいのかを考えた挙句出たのが
大統領なんですが
何故この名前になったのか?
何故日本に来たのか?
伊豆大島はアメリカの領土になりそうだったのか?
その話は
又 明日に続く、、。