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社長&顧問ブログ

2021.1.15

哀れ戦艦土佐

 

昨日からの続きです。

昨日までは 長崎で 日本初と言うのが色々あると言う話から

その中の一つの 日本最初の鉄筋コンクリートの建物が

長崎の軍艦島にあると言う話でした。

 

この軍艦島は 当時は たしか人口密度日本一と言うくらい

炭鉱で栄えた島で あの小さな島に学校までもあったと言うのです。

 

それが エネルギー革命でその役目を終えてからは 無人となり

今では 廃墟と化してして

その廃墟を目当てのツアーもあるというのです。

 

また 007の何作目かは忘れましたが 軍艦島がロケに使われたとか

の話も聞いた事があります。

 

この島は 本来は端島と言う島だったのですが

いつの間にか 姿が軍艦に似ているという事から 軍艦島になったのです。

 

そして その軍艦は 軍艦土佐に似ていると言うのです。

 

昔は色々な軍艦がありましたね

戦艦大和 戦艦武蔵 空母赤城などですが

軍艦土佐と言う名前は聞き覚えが無かったのです

 

どうせ軍艦に似ていると言うのならば 大和に似ているとかの方が

イメージが良いと思うのですが

そもそも 軍艦土佐は どのような経緯で建造され姿を消したのだろうかと

調べてみました。

 

調べてみると分かったのですが

戦艦大和や武蔵の様に 建造はしたけれど 就航はしてなかったのです。

「土佐」は戦艦8隻、巡洋戦艦8隻からなるいわゆる「八八艦隊」を構成する

戦艦の第二段として「長門」型の拡大改良型である「加賀」型戦艦の2番艦として大正9年2月に三菱長崎造船所で起工されたのでした。

 

新型戦艦として大きな期待を持って建造が進められいた中、航空母艦の必要性から

改造されていったのです。

しかし 世界が日本の軍備拡大に対して難癖をつけて

ワシントン海軍軍縮条約の締結により進水直後の大正11年2月に建造中止が発令され、

7月31日に未完成のまま帝国海軍に引き渡されました。

航空母艦への改造は「天城」型巡洋戦艦「天城」「赤城」が当てられることとなり、

「土佐」は戦艦「肥前」「石見」「安芸」「薩摩」とともに実艦標的として処分されることとなってしまうのです。

そして、大正14年2月に豊後水道南方の高知県沖の島西方約10浬の地点で自沈処分により姿を消したのです。

 

戦いに出る前に 処分されてしまったとは 悲しい話ですね。

 

この悲しい土佐に似ていることで軍艦島と名付けられた島も

エネルギーが石炭から石油に代わることで 悲しい最後を迎えるように

なってしまったのです

 

その時々の時代の流れを感じる話でした。

 

明日は どんな長崎物語になるのか??

 

それは

 

明日に続く、、。

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