EXECUTIVE BLOG
2020.11.14
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
本来であれば 麻布十番でジャーナリストとのビジネスコラボする話で
その内容がどのようなものなのかの続きを書かなければならないのですが
このビジネスを当時全国へ広める為に 行商人の様に全国各地を
飛び回っていたのです。
各地に行くと それぞれに色々な話があり それを学んでから
営業先に行き 地元の方よりも詳しくその地元を語る事で
一気に親近感が増して 営業がしやすくなるのでした。
そんな経験を活かして その土地その土地を訪問すると
地元では当たりまえの事でも
へえーーっ と思う事がよくあります。
例えば岩手の方にとっては当たり前の事ですが
岩手の川沿いに イギリス海岸と言う場所があるのです。
花巻駅から2キロほどの北上川西岸にある場所の事なのですが
川なのに海岸?そしてその名前が イギリス海岸??
一体どういう事???
そこがイギリスっぽいところかと思いきや まったく違い単なる田舎風景なんです
全国に色々?と思うところが多々あります。
各地の勉強はしたのですが 地元の事を知らないので
地元の話になっていました。
平和台の話から 天神の地蔵の話になり
地蔵の話から
濡れ衣の話へと続いてます
福岡には 濡れ衣地蔵があるのです。
そして この濡れ衣と言う言葉は この地蔵さんがある場所で産まれた
事を知るのです。
何気なく使っていたこの言葉には 歴史の裏付けがあったのです。
この濡れ衣を 今の言葉に置き換えると
冤罪ですね。
その「濡れ衣」の基となった言い伝えが
九州は福岡に残っているのです
それは
筑前国司佐野近世の娘春姫が継母の策略で
冤罪のまま、亡くなったという話がもとなんです。
イジメが原因だったのです
継母は主人に
「春姫は深夜、釣衣を盗んでいる。
それが証拠に春姫のの部屋に釣り衣がかかっています」
継母はこのように近世に告げ、これを信じた近世は
春姫を殺してしまうのです。
それから近世の枕元に夜な夜な春姫が立ち、
無実を訴える。
近世は自分の非を嘆き、継母と離縁して
出家してしまう。
死んだ筑前国司の娘を供養した墓と地蔵さんが
御笠川の横にあるのですが、
それが「濡衣塚」とよばれています。
この石碑は、板碑と呼ばれる中世の石遺物で
玄武岩の自然石を用いています。
高さは約165cmで、梵字が正面3箇所に太く刻まれています。
最上段は大日如来(バン)、右下が宝幢如来(アー)、
左下が天鼓雷音如来(アク)を表現しています。
康永3年(1344)の銘が刻まれており、
南北朝時代の板碑であることがわかります。
地元の福岡にもまだまだ沢山
知らない事があります
明日は
あの 最恐の場所
犬泣き峠について、、
になるかならないか
それは
明日のお楽しみ、、。