EXECUTIVE BLOG
2020.10.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは
シーボルトが日本に興味を持つことになったのか
何故かと言う話から
大黒屋光太夫の遭難からモスクワ行きの話になり
そこで
やっと日本に帰ることが出来るよになったのだが
一人の日本人がモスクワに残ることになり
キリスト教へ帰依したと言う話でした。
この時 この男が キススト教に帰依しないで 恋に落ちた女性と
田舎で人目につかず農業でもしていたら
全く歴史とは無縁の男として終わっていたかもしれません
しかし キリスト教徒になって 教会に行っていたことが
教会ネットワークを通じてオランダの学者へとその情報が伝わるのです。
そして その学者は 林子平が日本周囲の事を書き 桂川甫周が命がけで
オランダ商人に手渡した 三国通覧図説を訳すために このモスクワに
いた日本人を見つけたのです。
林子平が 幕府から処罰を受けるのが 1791年頃で
このモスクワに残ったのが1792年です
シーボルトは1796年生まれですから 彼らとは直接の縁が無いのですが
1820年頃 この三国通覧図説のフランス語版を手にしたのだと思います。
そして それを 読むことで日本に興味をもち ドイツ人でありながら オランダ人と偽って日本に入国したのだと思うのです。
そして シーボルトは 日本に来た時にその 三国通覧図説フランス語版を持って
来たと考えられます。
日本に来たのは1823年の事です。
そして 今一度思い出して頂きたい話が
ペリーが日本に来た時の話です 彼が黒船に乗って日本に来たのが 1853年ですね
シーボルト来日から30年も後の話です
そのペリーが 八丈島は米国に帰属すると幕府に要求するのですが
日本であるとの証明をする国際的な文献は まだこの時は 幕府にはありません
幕府はそれが無い事には ペリーの要求をそのままのまざるを得ない状態に追い込まれて
居たのです。
江戸城内にはそんな文献などあるはずがないと誰もが考えていました。
無ければ そのまま要求をのまざるを得ない事になり
八丈島は米国領土となってしまうところだったのですが
結果は 八丈島が米国になった事はないことから その文献はどこかにあったのです。
では その 文献はどういう経緯で幕府の手元に渡ったのか??
この時に 重要な役割を果たすのも台風になるのです。
ここでの 話は台風が沢山出て来ますね
ジョン万次郎しかり 大黒屋光太夫しかり
歴史の節目に台風が絡んでいるのではと感じてしまいます
これよりはるか昔は 元寇襲来という出来事があったのはご存知かと思いますが
この時も日本の運命を救ったのは 台風でしたね
こういうことが 多々あったので 何か 国難がある時は
必ず神風が吹くと言う風潮になり
これが第二次世界大戦での神風特別攻撃隊と言う 無謀な作戦を行う事になってしまうのですね、
さて では この幕末の日本を救うことになる台風とはどういう台風で
それが 何をもたらしたのか??
その話は
明日に続く、、。