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社長&顧問ブログ

2022.8.10

吉田廣一(陸軍大尉)

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日は 77年前に 長崎に原子爆弾が落とされた日でした。

二度とこのような悲劇を繰り返さない為の願いを込めて

長崎に平和祈念像が建てられました。

この祈念像の

右手は原爆の脅威、左手は平和、軽く閉じたまぶたは

犠牲者への冥福の祈りを表しているそうです。

そして毎年平和記念式典が行われているのがこの場所です。

 

像の右手が天空を指していることから、

平和祈念像が爆心地である思っていたのですが、

正確な爆心地は、平和公園の南端(原爆落下中心地公園)に建てられた

「原爆落下中心地碑」によって示されています。

 

長崎市は周りが山で囲まれた特徴ある地形であったため、

熱線や爆風が山によって遮断された結果、

広島よりも被害は軽減されたと言われています。

周りが平坦な土地であった場合の被害は、

広島に落とされた「リトルボーイ」の威力を遥かに超えたであろうと推測されています。

 

 

仮に、最初の標的であった小倉市に投下されていた場合、

平坦な土地が広がり、本州と九州の接点に位置するために、

関門海峡が丸ごと被爆し、

小倉市および隣接する戸畑市、若松市、八幡市、門司市、

即ち現在の北九州市一帯と下関市まで被害は広がり、

死傷者は広島よりも遥かに多くなっていたのではないかと推測されています。

 

長崎での原子爆弾は、約100km離れた熊本県熊本市でも

「ピカッと閃光が走り、空気がぶるぶるっと震え、遠くにキノコ雲が上がるのが見えた」との証言があります。

 

また遠く200km離れた大分県中津市でも

「あの日長崎方面から立ち上がるキノコ煙が見え、何事かと不安になり恐ろしかった」

と当時を語る証言も残っているように、

極めて残虐非道な兵器だと改めて思い知らされます。

 

広島と長崎の二発の原子爆弾投下を成功させるために、

アメリカは事前に日本の各地には40数発の模擬爆弾を投下して

効果の程を試していたと言うのです。

 

もし 終戦がもう少し遅れたら 更に惨劇が拡がったと思います。

 

このような悲劇が二度と起こらないとの願いから

長崎平和祈念像が作られたのです。

 

この本像台座後部に刻まれている作者・北村西望の言葉には

「顔は戦争犠牲者の冥福を祈る 是人種を超越した人間 時に仏 時に神」

との一節があります。

ここには 誰をモデルにしたとは書いていませんが

徳島県脇町出身で柔道・レスリング等の指導者であった吉田廣一陸軍大尉

(通称、「せんとうはん」)だったという事が後に判明したようです。

 

吉田廣一はニューギニアやビルマで戦った陸軍大尉で

香川県善通寺で編成された第55師団所属しており、

1939年出征。激烈を極めた南方戦線から、46年に奇跡的な復員を果たしています。

 

戦後一年も経っており 家族の元には 戦死公報が届いていましたので

彼の葬儀もとっくに終わった後に

それこそ 何事もなかったように

「ただいま」 と言ってひょっこり帰って来たそうなのです。

 

しかし 何故 終戦から一年もかかってしまったのか? ですが

彼には こんなエピソードが残されています。

それは

 

飢えとマラリアに襲われ「人肉を食った」と言われたほどのニューギニアの戦線から、

衰弱した戦友を見捨てず、30キロの退路を戦友を背負うように引っ張って撤退した話、

 

日本へ帰還する最後の飛行機に乗り込んでいた時に、

泣いて搭乗を願う身重の若い娘に自分の席を譲った話が残されています。

 

感動的です。あの大混乱の中で、最後まで男の優しさを忘れないとは…。

誰にでもできることではありません。あり得ない事だと思います。

強さと優しさを体現したできた、もの凄く立派な男でなければ不可能です。

 

この二つのエピソードは決して自らの口で人に語られた訳ではありませんでした。

 

衰弱した戦友を見捨てなかった話は助けられた人が自叙伝を発刊してから判明したことでした。

また

身重の若い女性に席を譲った話も、

吉田氏が若くして不慮の事故で亡くなった時、

助けられた女性が吉田氏が眠るお墓地にお参りした後、

事の顛末を家人に涙を流し泣きながら伝えたそうです。

 

このことをもってしても、どれだけ心の広い人であったかが伺われます。

奥ゆかしいのを通り越して神々しく思えてきます。

 

平和記念像には、

吉田廣一(陸軍大尉)の魂が宿っていることを信じ

世界平和を願いたいと思います。

 

さて 先ほども書きましたが 長崎の原爆は 当初小倉に落とされる予定でした

当初は 小倉が曇っていて目標が見え難かったために 投下を断念し

長崎に向かったとずっと聞かされていましたが、

 

つい最近 その真相が判明しました。

 

何故 爆撃機は 長崎へ向かったのか????????

 

それは???????????

 

明日に続く、、、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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