EXECUTIVE BLOG
2022.5.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 江戸の火事話で 振袖火事から 八百屋お七の話になっていました。
本来であれば
いまだに 山口県の方と会津地方の方は 仲直りしてないと言う話に行かなければ
なりませんが
火事話の続きが長くなっています。
で 今日は 江戸の大火事のせいで 住民が強制移動させられたと言う話です。
東京の住みたい町NO.1といえば武蔵野市吉祥寺と言われています。
その街名は寺に由来するのかと思い街をくまなく歩いても
吉祥寺という寺を見つけることはできないのです。
それは何故かと言いますと、そんな寺は存在しないからなのです。
では、なぜ吉祥寺という地名なの?と 調べてみますと、
明暦の大火と関東大震災という2つの大災害が地名の由来と街の発展に大きく関わっていることが分かって来るのです。
吉祥寺で暮らしに憧れる人たちに
「なぜ、吉祥寺の地名か知っていますか?」と聞いてみても、
ほとんどの人が
「吉祥寺というお寺があるからでしょう」と答えるのです。
しかしその答えは間違いなのです。
祐天寺、高円寺、国分寺、豪徳寺……等があるように、
東京には「寺」の付く地名がたくさんあり、そのほとんどに地名のままの名称のお寺があるのです。
しかし、吉祥寺という名のお寺は文京区の駒込にあって、吉祥寺には存在しないのです。
なぜ吉祥寺という地名が付いたのか?ですが
江戸に幕府が開かれておよそ半世紀の明暦3年に、
江戸の町はその半分が焼失するほどの大火に見舞われたのです。
この明暦の大火によって、
本郷元町(現在の水道橋駅近く)にあった曹洞宗諏訪山吉祥寺の門前町が焼失してしまったのです。
焼けだされた門前の住人たちは、
幕府のあっせんによって現在の武蔵野市東部に移住する事になるのです。
これが 明暦の火事が幕府の陰謀ではと言う説に繋がるのですが、
被災した人々の手で武蔵野台地で新田開発をすすめて新生活を始めるのです。
しかし移住した人達はかつて住んでいた吉祥寺を忘れる事が出来ず、
新田として開墾した場所を吉祥寺村と名付けたのです。
これが、「寺がないのに吉祥寺」の真相なのです。
で本当の諏訪山吉祥寺はどうなったかと言いますと、
明暦の大火では辛うじて焼失を免れたのですが、その後の別な火事で完全焼失してしますのです。
現在吉祥寺は文京区本駒込の地に移っています。
この吉祥寺という寺の名の由来ですが、
太田道灌が江戸城築城の際に井戸を掘ったところ、
「吉祥増上」と言う刻印が出てきたので、和田倉門の近くに吉祥庵を建てたのがその始まりといわれています。
こうして明暦の大火によって誕生した吉祥寺村は、それから300年後に
又大きく変化するのです。
その変化した原因とは?????
それは????????