EXECUTIVE BLOG
2024.1.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 山形の最上家から 豊臣秀次に嫁ぐ予定だった
駒姫の非業の最後についての話でした
まさか 当時の関白が 秀吉により謀反の疑いありとの事で自決させられるとは
秀次本人も思ってなかったでしょうし
それ以上に まだ 嫁ぐ予定とは言え まだ秀次とも会った事がない 駒姫迄
殺害されるとは 姫地自身も思っていなかったと思います。
まだ 16歳そこそこで 娘を殺された最上義光の心境は如何なものだったのか?
それで 姫を弔うために 山形に専称寺を建てたのでした。
歴史にIFはありませんが 山形出発があと数日遅れていたら このような悲劇は
怒らなかったのです。
ちょっと話は逸れますが 山形を流れる 最上川と この最上家とは その名前からして 何か関係があるかまでは 分かりませんが
最上川の名前の由来については多くの説があるのです。
アイヌ語の「モー・カムイ」(静かなる神)に由来する説があるようです。
また、庄内平野から最上峡を経て、内陸部に至ると広い盆地が開けていることから、
この一帯を「モモカミ」(崖の上)といい、ここから流れてくる川も「モモカミ」と言った説もあるそうです。
いずれにしても 山形の方にとりましては 母なる川として愛されているようです。
さて 義光が駒姫の為に立てた専称寺に 左甚五郎作と言われる彫り物があるのを
私が 山形訪問の際に知った話に戻ります。
専称寺は山形市緑町にある浄土真宗大谷派の寺院で、もともとは山形市の北に位置する天童市に存在しましたが、駒姫の事件がきっかけで山形市へと移設されたのです。
この専称寺本堂の四隅には屋根を支えているかのように四人の力士の彫像が配されています。
これが
江戸時代の伝説的彫刻職人である左甚五郎の作と伝わっているのです。
その素晴らしい出来栄えから魂が宿ったと考えられ、
そこで聞いた話によりますと以下のような伝説が伝わっているそうです。
その一つが
屋根を支える四人の力士は、魂が宿ったことで意思を持ちます。屋根を支えながらも、
日中はなんとか重さに耐えているが、夜になると「重い…重い…」と愚痴をこぼしながら夜泣きをするようになります。
毎夜のように続くその夜泣きに耐えきれなくなった住職はある日、
猟師に頼み力士の足元付近に鉄砲を打ち込み脅しをかけてもらいました。
すると夜泣きはぴったりと収まったと言う説。
二つ目が
この力士像が夜毎に軒下から飛び出して相撲を取って遊んだり、酒を買いに出て行ってしまうのをけしからんとした住職が力士像の足を釘で打ち付けたことで、
自由に出歩けなくなった像たちが夜泣きをするようになった…というもので、
こちらの話でも最終的に鉄砲を打ち込んだことで夜泣きが収まったそうです。
しかし 私は 専称寺は 義光が最愛の娘の為に移設して建てた寺であることから
この 力士たちは 駒姫の事を思い 毎夜 泣いていたと言う方が
しっくりするのですが、
その話はありませんでした。
しかし 秀吉も 実子ができると 我が子可愛さに 秀次を自害に追い込むだけでなく
一族を抹殺して 遺恨が我が子に及ばないようにしたと言うことになりますから
なんとも 恐ろしい話です
いちど 山形に行った際は 蕎麦も美味しいですが
この専称寺にもいってみて 夜泣き力士像を見て下さい
で この 非業の事件と南米の話がどうなるのか???
が
続くのかは
明日のお楽しみ、、、。