EXECUTIVE BLOG
2024.2.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 太平洋戦争における 特攻隊の話から
フィリピンから 最初の特攻機が出撃したのです。
現代人からすれば 何故あのような事をしたのか??? と思うでしょうが
それには軍事的には 深い訳があるのです。
広い太平洋を守るのに 日本軍は連合艦隊がいました
日露戦争では この連合艦隊の活躍により 当時最強と言われた ロシアバルティック艦隊を撃破して 日本を守る事に成功しました。
もし あの時 203高地での戦いに敗れ そして 日本海海戦でも敗れていたら
日本はどうなっていたか?は
今の ウクライナを見れば分かると思います。
ロシアの属国として ソ連時代は鉄のカーテンの中の共産圏の一部になっていたかもしれません。
その後 日本は 第一次世界大戦で日本を守る事以上に 世界平和維持のために戦っていました。
当時ソ連から敗れたポーランドからは 多くの人が抑留されていました。
当然 大人は酷い仕打ちを受けていましたし 戦争孤児たちも多くいたのです。
実は それらを解放したのは 我が日本軍だった事をご存知の方は少ないかもしれません。
ポーランドに行かれた方は ご存知かと思いますが ポーランドはヨーロッパの中でも
親日国なのです。
ある地域では 小学校の校歌の後に君が代まで歌っている学校もあるのです。
が この辺りの 涙なくしては語れない話は 又後日と言う事で
太平洋戦争において 米軍も 日本の連合艦隊を破らいことには 戦争に勝てないと
考えて 大艦隊を太平洋に送り込む事にしたのです
これを迎え撃つために 日本からは 当時世界最大の戦艦大和を向かわせることにしたのですが
あまりの戦力差で 大和が駆け付ける前に日本の艦隊が敗れる恐れがあったのを
阻止するためには 敵空母を撃沈するしかなかったのです
それで 艦船だけでは太刀打ちできず せめて大和が来る一週間を持ちこたえる為に
特攻機が飛び立つことになったのです。
この辺りまだ勉強不足で 時系列が曖昧なので もう少し勉強しますが、
とにかく 敵の空母を 撃沈して この太平洋を守らなければ 日本を守れないのです。
そして 日本を守るための拠点でもある グアム サイパン テニアンを 落とすわけにはいかなかったのです。
あたらめて このサイパン テニアンを 地図で探すと 本当に虫眼鏡で見ないと
見えない位です。
ここが 敵の手に渡るとどうなるか????
想像つきますよね???
いや そんな太平洋の元々は無人島みたいな島なんて 敵の手に渡せばよいでは
と思い人もいたかもしれません
同じ様な事が現代でもありますね
今 必死で 所有権を言い出した中国は 尖閣諸島は中国のものだと言われて
あんな小さな役にも立たない島なんて 渡せば良いではと言う人がいるのと同じかもしれません、、、
太平洋戦争において 我が日本軍は サイパン テニアンは絶対に敵に渡せない島だったのです
しかし 結果は既にご存知の通り サイパンもテニアンも 日本軍の玉砕と言う事で
全滅してしまいました。
そこに残った多くの日本人は 今では バンザイクリフと 言われている断崖絶壁から
身を投じて自殺したのです。
そして 米軍の手に落ちました。
この事で 世界最大の悲劇が起きることになるのです。
それは 何か?????
は
明日に続く、、、、。