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社長&顧問ブログ

2023.12.14

宇喜多秀家

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 太平洋戦争開戦の日についての話でした。

昭和16年12月8日の事を知っている方も 殆ど居なくなったと思います。

 

当時10歳だった方も 90歳を超えているわけですから

なかなか 当時を語ってくれる人にはお目にかかれませんね

 

そういうわけで 昭和も遠い昔になりつつあります。

しかし 先日 日本最高齢の方が亡くなったニュースが流れました

その方は 明治40年生まれの女性だそうです

彼女は 明治 大正 昭和 平成 令和の5世代を生き抜いて来られたかたですから凄いです

 

先ほどの開戦の日の 昭和16年の時は 35歳くらいだったはずです。

その時の話を元気な時に聞きたかったです。

 

私の父 祖父 親戚の多くは 戦争に行ってます。 悲惨な話はしませんが

武勇伝を話しするときは 興味を持って聞いてました。

祖父は 上海上陸作戦に従軍してましたし

父は 沖縄戦に向かう台湾で待機をしている時に終戦を迎えました

また 叔父は マレーの虎の山下奉文大将のもと

戦車隊を率いてイギリス軍と戦っていたそうです。

 

私世代が 直接聞く事が出来る最後の世代になってきました。

 

同じ様な話で

1600年に 関ヶ原の戦いがありました。

この時西軍で活躍した宇喜多秀家は 敗戦後 八丈島に島流しされ

そこで 50年過ごしたそうなのですが

 

関ヶ原の戦いから随分あとになって まさか この爺さんが あの豊臣五大老の

1人だったとは信じる人は少なかったようですが

 

当時の子供たちは 目を輝かせて 関ヶ原の戦いの話し 宇喜多軍の戦いを

聞いていたそうです。

 

いつの時代も 子供の心理は同じなんだなと思ってしまいます。

 

宇喜多秀家は 西軍の副大将でしたが

「秀家」の名は、元服した際、豊臣秀吉より「秀」の字を与えらたとの事です。

 

太平洋戦争の話から 関ヶ原へと話が逸れましたが

 

明日は

どちらの話しへ進むのか????

 

 

明日に続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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