EXECUTIVE BLOG
2020.12.2
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きですが
いよいよ師走 十二月ですね
十二月と言えば
昭和十六年十二月八日 に 日本軍が宣戦布告してハワイパールハーバーを奇襲攻撃して
太平洋戦争が始まったのです。
もう この事すら覚えている方も少なくなってますし
平成生まれの方にいたっては 日本がどこと戦っていたかも知らない人もいます。
先日から書いている 戦争の悲惨さを含めて 次世代に語り継いでいく必要があると
思います。
何故 日本が戦争を開始しなければならなかったのか?も 知っておく必要があるのでしょうが
詳細を知っているわけではないので ここでは省略するとして
昨日からの続きに戻らなければなりませんね
開戦以来 日本は連戦連勝していたのですが ミッドウェーの海戦で負けて以後
米軍の圧倒的な物量の前に玉砕が相次いで
いよいよ戦争継続が困難になり
最後は 天皇陛下のご聖断を仰ぐと言う事態になり
終戦への道へ進むことになるなるです
後に米軍も驚くのですが 天皇陛下の命令のもと殆どの兵隊が一糸乱れず
武装解除に応じるのですから 天の声は凄いと感じたマッカーサーは
占領下の日本統治には天皇陛下の存在が必要と考え
極東軍事裁判 つまり 戦争犯罪人を裁く裁判において
天皇陛下を裁かないように動いたのです
当時は 多くの国は 天皇陛下が戦争の最高責任者であると考え
天皇を裁きの場所に引き出そうと考えていましたが 米国はその立場を利用しようと考えていたのです。
米国の思惑は その後も色々とあるのですが
その話は 又後日という事で
今回は 終戦決定後の 日本陸軍の動きの続きです。
ご聖断が出た後は 陸軍大臣も 終戦に向けて動き出すのですが
一部の 軍部将校が反乱をおこすのです
この時の事件を 宮城事件と呼んでいます。
これは
簡単に言うと
日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、
師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠したのです。
しかし陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念し、
一部は自殺もしくは逮捕された事件なのです
その詳細は??
それは
明日に続く、、。