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社長&顧問ブログ

2023.3.17

山口良忠裁判官

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

通帳は通帳でも 米穀通帳が無ければ お米は買えなかったと言う話でした。

 

国が決めた量のお米しか買えなかった時代が ほんの少し前まで

続いていたのです。

 

勝手に 農家に行って米を買う事は許されておらず 罰せられていたのです。

今では レストランなんかでは 大量に食べ残しが出てますし

それを SDGSとか運動で なくそうとしています。

 

昨日も書きましたが

天皇陛下も 国民が飢えている中 いくらでも闇米は手に入ったと思うのですが

国民と同じように配給米で調理されたものを食していたというのですから

当時の調理人も相当気を遣ったのではと思います。

 

闇米が何かを正確に言いますと

太平洋戦争中から戦後にかけて、米などの生活必需品は政府の統制下に置かれ、

「米穀通帳」で家族構成に応じて一定の配給をされていたのです。

これが「配給米」です。

 

しかし配給米の量と質ではとても生きて行けませんので、都市部の住民は郊外や地方に買い出しに出かけ、

農家が配給に供出していない米を金や着物などで購入あるいは物々交換して持ち帰っていました。

これの事を「闇米」と呼んでいたのです。

 

経済統制法令違反ですが命には変えられないという事で 闇米を買いに都会に住む多くの人がいたのですが、これはれっきとした犯罪で、

警察の取り締まり対象ですし必死で手に入れた闇米は没収されたのです。

 

こういう時代背景の中 悲しい事件が起きたのです。

 

それが 闇米事件として昔の方であれば 聞いた事がある事件です。

 

闇米を買った人は当然逮捕され 裁判にかけられます。

 

しかし当時の役人たちも 自分の命を守るために 闇米を手に入れていました。

 

しかし 当時、山口裁判官と言う人がいて

彼は佐賀県杵島郡白石町出身で太平洋戦争の終戦後の食糧難の時代に、

法律を固く守り、闇市の闇米を拒否して食糧管理法に沿った配給食糧のみを食べ続け、栄養失調で餓死してしまったのです。

 

彼は 裁判官で 闇米に手を出した人を裁く立場でしたが 裁く側の人間が 闇米に手を出すのは言語道断と考え 自らは 闇米に手を出さず 結局は飢え死にした事件が

闇米事件として 大きく新聞にも取り上げられました

 

山口裁判官の死を伝えた朝日新聞の第一報は、

社会面トップに

「食糧統制に死の抗議 われ判事の職にあり ヤミ買い出來ず 日記に殘す悲壯な決意」

との四段ぬきの大見出しで報道され、

死の床につづられた日記の一節であるとして以下の文章が掲載されました。

 

参考までにここに載せます

「食糧統制法は悪法だ、しかし法律としてある以上、國民は絶対にこれに服從せねばならない自分はどれほど苦しくともヤミ買出しなんかは絶対にやらない、從つてこれをおかすものは断固として処断せねばならない、自分は平常ソクラテスが悪法だとは知りつゝもその法律のためにいさぎよく刑に服した精神に敬服している、今日法治國の國民にはとくにこの精神が必要だ、自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ敢然ヤミと闘つて餓死するのだ自分の日々の生活は全く死の行進[23]であつた、判検事の中にもひそかにヤミ買して何知らぬ顔で役所に出ているのに、自分だけは今かくして清い死の行進を続けていることを思うと全く病苦を忘れていゝ気持だ」

 

今 毎日 食べ残しも当たり前だと思われて平気で残す人もいます。

 

この事件後

日本の食管法はどのように変わっていくのか?

 

実際 私は まだ米穀通帳が残っている時代に ある場所で売ってたお米を何度も買った事がありました。

 

しかし 取締対象にもならなかったのです。

 

それは

何故か????

 

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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