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社長&顧問ブログ

2021.4.2

平和の為の特攻

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです

 

 

昨日までは 桜の話から

カミカゼ特別攻撃隊の話になりました。

 

そして 戦時中は 最初の特攻隊員である 関大尉やその母親は

軍神や軍神の母として称えられたのに 戦後は この母親に対して

国民が石を投げつけるような事をしたり あれだけ礼賛していたメディアまでが

戦犯のような扱いをしするようになったのです。

 

彼らの犠牲無くして戦後の平和な日本は無かったのだと思うのですが

この手のひら返しには驚くばかりです。

 

靖国神社は 平和を信じて亡くなった軍人を祀っている神社なのです。

 

では カミカゼ特別攻撃のような無謀な作戦は関大尉以後続けるべきだったのか??

 

特攻攻撃をやめようと進言する人はいなかったのかと大西中将に

質問した人が居たのですが、

その時大西中将は、言葉を選ぶように

「関大尉の率いる敷島隊が戦果をあげたため、限定的な作戦から変更されたのです。

特攻攻撃を続けることで勝てるとは思わなかったが、

負けないという確信があったからです。

中枢部の考え方としては、戦争をどう処理するかが重要な案件になっていったのです。

本土決戦になればアメリカは大きな被害を受けるということをアピールする必要があった。特攻攻撃が戦争の終結に結びついたと思います」

と語ったと言われています。

 

最初は特別攻撃は限定的な作戦だったのですが

このまま 負け続けると 米軍が日本本土に上陸してくる恐れがあると判断し

カミカゼ攻撃をすることで もし これが本土決戦にでもなれば

日本国民がカミカゼ攻撃をするのではと米軍に思わせることで 本土攻撃の

前に戦争終結の道を選ばせられたら良いと考えた

その為に 無謀なカミカゼ攻撃を最後まで続けたのではと思います。

 

この大西中将は次のような遺書を残しています。

 

「特攻隊の英霊に曰す善く戦ひたり深謝す

吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

次に一般青壮年に告ぐ

隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ

諸子は國の寶(たから)なり

平時に處し猶ほ克く特攻精神を堅持し

日本民族の福祉と世界人類の和平の為最善を盡せよ」

 

そして 遺書を書き終えて

戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた8月16日未明、

渋谷南平台の官舎で割腹して果てたのでした。

特攻で死なせた部下たちのことを思い、

なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だったのです。

 

遺書あるように特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない

冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願いながら亡くなったのです。

 

終戦から一年も経つと 特攻隊の生き残りにたいして世間の目は厳しかったのです

 

この大西中将の奥様に対しても世間の目厳しかったようです。

 

残された大西中将夫人の涙なくしては語れない物語とは??

 

それは

 

 

明日に続く、、、、。

 

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