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社長&顧問ブログ

2022.12.2

徳川家とは?

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

江戸弁が東京弁になり やがてそれが 標準語になったと言う話から

明治維新後 陸軍は長州弁 を使ったと言う話でした。

長州にも意地があったのでしょうか、、、、。

 

で 話が 江戸時代の話になったところから

御三家の話になり 御三家筆頭と言えば 尾張徳川となりますね

それなのに 尾張徳川家からは 将軍を輩出していません

特に八代将軍吉宗以降は 紀州徳川家が力を持っていたようで

吉宗は 御三家の他に御三卿を創設してしまいますね

この御三卿とは??? は 又後日という事で

 

何故 尾張徳川は筆頭なのに 将軍を輩出出来なかったのか?? に

進む前に

 

そもそも 徳川家ってなに?? と言う話になります。

 

今 周りを見回しても 知人 友人に 徳川と言う名字の人に会った事

無いと思います。

その謎に迫ってみます。

 

いずれにせよ徳川と聞いて、「何だそれ?」と思う人は、まずいないはずですね。

しかも恐らくほとんどすべての人がそれを人名と結びつけるでしょう

日本で教育を受けた人ならば、

徳川が歴史上重要な役割を果たした人物たちの苗字であることくらいは知っています。

 

人のファミリーネームを表す場合、

氏、姓、名字、苗字、四つの言い方があります。

現代においては、四つとも全く同じ意味で使っています。

 

しかし元々それらは別々のものだったのです。

簡単に説明すれば、氏と姓は朝廷から授かる公的な名前で、

名字や苗字は土地の繋がりだとか血縁的集団を示すために用いた私的な名前だったのです。

 

名字は平安時代の頃より地名に由来して使われ始めましたが、

苗字は家や一族という概念をより重んじるようになった江戸時代から使われるようになったのです。

 

徳川家康が朝廷に送る公式文書、又はその逆の朝廷から徳川家康への勅書等には、

すべて源朝臣家康と書かれています。

家康は初め松平という苗字だったのです。

戸籍のない時代ですから、他にも多くの人が様々な理由でわりと頻繁に名前を変えていたのです。

 

豊臣秀吉もその一人ですね。

 

ただし、苗字を松平から徳川に変える時は、朝廷に許可が必要だったのです。

実名は自由に変えられても、苗字の方はそう簡単には行かなかったのです。

朝廷への根回しがよくて変更が認められるのですが、

それでもこの時苗字を変えたのは家康ただ一人です。

徳川は家康個人のみに許される称号であり、専制権力を確立するために使われたのです。

 

その後家康が将軍職を辞して隠居するまでに、

他に徳川の苗字を許されたのは世子である秀忠ただ一人です。

11人いた家康の男子でさえも徳川を自由には名乗らせず、

秀忠の他には後に徳川御三家となる家康の九男義直、十男頼宣、十一男頼房の3人のみです。

その後水戸藩初代藩主となる頼房に至っては家康が没した後のことだったのです。

 

徳川と言う名字はそれほど貴重な名字だったのです。

 

では

家康は 何故松平から徳川へと名前を変えたのか????

 

そこにあるものとは?????

 

それは?????

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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