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社長&顧問ブログ

2022.12.3

松平から徳川へ

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 徳川御三家とは?と言う話から、

本来であれば 御三家筆頭の 尾張徳川家の話に進まなければ

なりませんでしたが、 またまた話が逸れて、、、

そもそも松平と名のっていたのに 徳川に改名したと言う話になりました、

 

では 何故改名しなければならかったのか?????

 

徳川家康はもともと「松平次郎三郎元信」を名乗っていました。

その後名前を変え、「松平元康」に変えて

そして1566年に、さらに改名「徳川家康」になったのです

 

この「徳川」姓への改名について、家康は朝廷に対し「旧姓に戻すため」という理由を述べています。

しかしこの「旧姓に戻す」とは、一体どういう意味があったのでしょうか?

実はここにこそ、将来「天下統一」を果たすための重要な理由が隠されているのです

 

「源氏の正嫡でなければ征夷大将軍になることは出来ない」と言うのが当時の常識でした。

征夷大将軍に任命されなければ、いくら武力で天下を統一しても 幕府は開けなかったのです。

家康ははそのことに気付き、家康による天下統一がまだまだはるか遠くにあったはずの1566年の段階で、「自分は源氏の正嫡である徳川氏の末裔だ」と言ったのです。

この家康の主張は、松平家の祖先である清和源氏の支流である新田氏の子孫の新田義季が「徳川四郎」と名乗っていたからだと主張していたのです。

そこから 徳川という名前にしたと言う事になります。

天下獲りする為に必要な名前だったと言う事です。

 

ただし 家康の先祖と言われている松平親氏はもともと旅人だったそうで、

三河国の裕福な家であった松平家へ逗留した際に気に入られ入り婿になり、

周囲の土地を買い取ることで支配地を増やしていったと言われています。

これが本当ならば、徳川家康のルーツは由緒正しい家系でもなければ武士でもなかったということになってしまいます。

 

いつの時代もそうですが 勝者が歴史をかえてしまいますね

家康も 天下を獲る為に 自分が源氏の末裔であることを まだ若いうちから

宣言して そして最後にはその野望を達成するのですから

本当に凄い人物だったのだとも言えます。

 

ここで またまた 疑問がわくと思うのですが

何故源氏の流れでなければ 武家の棟梁である征夷大将軍になれないのか?

 

 

それは?????

 

明日に続く、、、。

 

 

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