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社長&顧問ブログ

2021.4.5

徹夫と朝子、神州不滅特攻隊

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです

 

 

なかなか ITの話に戻れませんが

 

昨日までは 桜の話から特攻隊の知らざれる物語でした。

 

そして今日も美しも悲しい 特攻隊員とその妻の話の続きとなります。

 

終戦の日から数日過ぎて 日本国内では粛々と武装解除が進んでいたにも

関わらず 満州では命がけの戦いを続けていた軍人が居たのです。

 

終戦間際 殆ど日本軍の負けが確定した 昭和20年8月9日に

ソ連軍は日ソ中立条約を破り 日本に対して宣戦布告をしたのです。

この事は 生前父からよく聞かされていましたが

当時はほとんどの日本人がソ連は卑怯だと感じていたそうです。

 

そして満州では、日ソ中立条約を一方的に破って攻め込んできたソ連軍により、

日本人居留民の大虐殺が繰り広げられていたのです。

特に女性はソ連兵から凌辱の限りを尽くされていたと言うのです。

しかし満州駐留の日本陸軍「関東軍」は降伏命令に従い、

守らなければならいはずの同胞を見捨ててソ連軍との戦闘を放棄してしまったのです。

 

その時に、関東軍総司令部の降伏命令に背き、ソ連軍と戦うと決断した男たちがいたのでした。

満州南部の大虎山飛行場に駐屯していた谷藤徹夫ら11人の飛行兵でした。

 

彼らは旅館で密議を重ねてソ連戦車隊への特攻作戦を計画し、

自らを「神州不滅特別攻撃隊」と命名し、

たとえそれが、獰猛な虎への小蜂の一刺しであったとしても、行動しようと決心したのです。

 

ソ連軍としては特攻攻撃を受けるのは初めての経験になります。

「日本兵を怒らせると次々に特攻してくる」と心理的に動揺させ、

ソ連軍の進撃が一時的に止まれば、日本人居留民の逃避の時間を少しでも稼げと考え。

兵士たちはそのために、自らの命を犠牲にすると決断したのでした。

 

この事を前日に夫から特攻の決意を告げられた谷藤の妻の朝子は、

「私も連れていってください」と哀願したのです。

 

ソ連兵から辱めを受け、仮に命を落とさずに済んだとしても、

一生消えることのない疵を負うくらいなら、

最愛の夫とともに敵軍に突撃して果てたいという新妻の切なる願いを谷藤はは受け入れたのでした。

そして

そして、11人の特攻兵とともに朝子さんは夫と共に散ったのでした。

目撃証言によれば、彼女は白いワンピース姿で特攻機に乗り込んだそうです。

 

満州国に取り残された同胞を守るために彼らは勇気を振り絞って戦ったのです。

 

しかし悲しい事に

戦後のうのうと生き残った元軍幹部からは

「あれは命令による特攻ではないから、単なる自殺行為だ」と蔑み、

女性を同乗させたことを「軍紀違反」と非難までしたのです。

戦後しばらくは戦犯同然の扱いを受け、戦没者に名を連ねることも許されなかったそうです。

だが、

満州で同じ部隊だった戦友たちの尽力により、終戦から22年後の昭和42年、

東京・世田谷観音に神州不滅特攻隊の慰霊碑が建立されたのでした。

その後、厚生省から戦没者と認定されて11人の特攻兵は靖国神社に祀られたのです。

 

このように国を守りたいとの一心で飛び立った若い夫婦や隊員達の悲劇を我々は後世に残さなければならないと思います。

 

さあ

 

特攻の物語はこのあたりにして

明日は 一気に ITの話へと進化するのか???

 

明日はどうなるか????

 

続く、、、。

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