
EXECUTIVE BLOG
2026.7.18
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日は、
「なぜ参道の真ん中を歩いてはいけないのでしょうか。」
という話でした。
参道の中央は、神様がお通りになる「正中」と考えられてきました。
だからこそ、私たちは左右に寄って歩きます。
そこには、
「私が先に」という気持ちではなく、
「どうぞ、お先に」という
思いやりや謙虚さが込められていると言う話でした。
さて今日は、
神社へお参りした時、誰もが自然に行っている
「二礼二拍手一礼」の話に進みます、、、、。
皆様も神社へ行かれると、
二回お辞儀をして、二回手を打ち、最後にもう一度お辞儀をされることでしょう。
けれども、
「なぜ二回なのだろう。」
「どうして拍手を打つのだろう。」
そう考えたことはありませんか。
実は、この作法の一つひとつには、
日本人が古くから大切にしてきた
「相手を敬う心」が込められています。
まず最初の二礼。
深く頭を下げるという行為は、
「私はあなたを大切に思っています」という気持ちを表します。
昔の日本人は、
頭を下げることを決して恥ずかしいことだとは考えませんでした。
むしろ、
相手を敬うことのできる人こそ、本当に立派な人だと考えていました。
頭を下げることは、自分を小さくすることではありません。
相手を尊重できる心の大きさなのです。
次に二拍手。
神社では柏手とも呼ばれます。
昔から、手を打つ音には、
自分の心を一つにし、神様へ真心を届ける意味があると考えられてきました。
また、左右の手を合わせることには、
さまざまな意味が込められていると言われています。
一つは、自分と相手。
もう一つは、人と自然。
あるいは、自分の心と行動。
別々のものを一つに合わせることによって、調和を願う姿でもあるのです。
そして最後の一礼。
これは、「ありがとうございました。」という感謝の気持ちです。
考えてみれば、私たちは日常生活でも似たことをしています。
会社へ伺った時には、「よろしくお願いいたします。」と頭を下げます。
仕事が終われば、「ありがとうございました。」とお礼を言います。
人とのご縁は、最初のご挨拶と最後の感謝によって、より良いものになります。
神社での作法も、それと同じなのです。
ところが、
現代ではお願い事ばかりが多くなっているようにも感じます。
「健康になりますように。」
「商売がうまくいきますように。」
「試験に合格しますように。」
もちろん、それも自然な願いでしょう。
しかし、その前に一つだけ思い出したいことがあります。
今日も元気にここまで来られたこと。
家族がいること。
仕事があること。
友人がいること。
こうして手を合わせることができること。
その一つひとつは、決して当たり前ではありません。
だからこそ、
まず「ありがとうございます。」という心が生まれます。
不思議なことに、
人は感謝の気持ちで満たされると、不満が少しずつ小さくなります。
「あれが足りない。」「これが足りない。」
そんな思いよりも、
「こんなにも与えられていた。」
ということに気づけるようになるのです。
そして、もう一つ大切なことがあります。
神社で手を合わせる時間は、
神様と向き合う時間であると同時に、
自分自身と向き合う時間でもあります。
「今日の自分は、人に優しくできただろうか。」
「感謝の言葉を伝えられただろうか。」
「約束を守れただろうか。」
静かに振り返ることで、
明日は今日より少しだけ良い自分になろうという気持ちが生まれます。
神様は、私たちに完璧を求めているのではないのだと思います。
少しずつでも成長しようとする、
その素直な心を見守ってくださっているのではないでしょうか。
ですから、
神社で大切なのは、作法を間違えないことではありません。
一番大切なのは、真心です。
形は心を整えるためにあります。
しかし、
その形に心が伴ってこそ、本当の意味が生まれます。
次に神社へお参りされる時には、
ぜひ「二礼二拍手一礼」の意味を思い出してみてください。
深く頭を下げる時には、敬う心を。
拍手を打つ時には、真心を。
最後に頭を下げる時には、感謝の心を。
その気持ちで手を合わせるなら、
お参りの時間は、
これまで以上に温かく、心豊かなひとときになると思います。
さて、
明日は神社の境内で目にする大きなアレの話に
続く、、、。