
EXECUTIVE BLOG
2026.7.17
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日は、神社の手水舎の話しでした。
手水舎で手を洗い、口をすすぐのは、
単に身体を清めるためではありません。
本当に清めるべきものは「心」であり、
静かに水の音へ耳を傾けながら、
自分自身と向き合う時間であることだと思います。
心が整うと、不思議と周りの景色まで違って見えてきます。
さて今日は、
神社へお参りするとよく耳にする、
こんな言葉についての話に進みます、、、。
「参道の真ん中は歩かないでください。」
神社へ行くと、参道の中央を避けて歩く方を多く見かけます。
昔から、
「真ん中は神様がお通りになる道だから。」
と教えられてきました。
確かに、それが一番よく知られている理由です。
神社では、参道の中央を「正中」と呼びます。
そこは、
神様をお迎えし、お送りするための大切な道と考えられてきました。
だから私たちは、その道を避け、左右を静かに歩きます。
では、それは単なる作法なのでしょうか。
私は、
その中には日本人が大切にしてきた
「心の文化」があるように思います。
一歩、脇へ寄る。
たったそれだけの行動です。
けれど、その一歩には、
「私が、私が。」
ではなく、
「どうぞ、お先に。」
という思いやりが込められている気がします。
日本には、昔から「譲る」という美しい文化があります。
電車で席を譲る。道を譲る。順番を譲る。
話すより先に、人の話を聞く。
どれも、自分を少し後ろへ置くことで、相手を大切にする心の表れです。
参道を歩く姿にも、その精神が受け継がれているのではないでしょうか。
現代は、競争の時代と言われます。
誰よりも早く。誰よりも多く。誰よりも上へ。
もちろん、努力することは大切です。
しかし、
「一番になること」だけが人生の価値ではありませんね。
人を思いやること。譲り合うこと。相手を立てること。
そうした行動が、
人との信頼を育て、結果として自分自身の人生も豊かにしてくれます。
ある茶道の先生が、こんなお話をされていました。
「茶室へ入る時は、誰も急ぎません。先にどうぞ。いえ、どうぞお先に。
その譲り合いの中で、お互いを敬う心が育っていくのです。」
神社の参道も、それと同じなのではないでしょうか。
一歩、道を譲る。
それだけで、自分の心も穏やかになります。
考えてみれば、
人生にも「真ん中」を歩こうとして苦しくなることがあります。
誰よりも目立ちたい。誰よりも認められたい。誰よりも勝ちたい。
そんな気持ちが強くなり過ぎると、
人と比べることが増え、心は疲れてしまいます。
しかし、一歩脇へ寄ってみると、
不思議なことに今まで見えなかった景色が見えてきます。
道端に咲く花。鳥のさえずり。木々の葉を揺らす風。友人の優しさ。
「当たり前」と思っていた幸せに気づくことができます。
人生には、「前へ進む勇気」と同じくらい、
「一歩引く勇気」も大切なのです。
一歩引くことは、負けることではありません。
相手を尊重する強さです。自分を見失わない余裕です。
そして、その心は、必ず人とのご縁を育ててくれます。
神社の参道は、何百年もの間、私たちに静かに教え続けています。
「譲る心を持てば、人生はもっと穏やかになりますよ。」
そんな優しい声が聞こえてくる気がします。
次に神社へ行かれる時は、
ぜひ参道の真ん中を避けながら歩いてみてください。
「神様の道だから。」
それも大切な理由です。
でも、それだけではありません。
その一歩には、
人を敬い、自分を整えるという、
日本人が古くから大切にしてきた心が込められているのです。
その心を忘れずに歩けば、
お参りの時間は、
きっと今まで以上に温かく、穏やかなものになることでしょう。
さて、明日は、
お参りの時に必ず行うアレの話に続く、、、。