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社長&顧問ブログ

2023.7.26

愛宕山から見た江戸

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 山の話が続きました

そこで 驚いたのが なんと 日本で一番低い山と標榜している山が

4つもある事でした。

 

何故こんな事があるのかと言うと

その測量方法によっての違いの様です。

 

一等三角点による測量だと蘇鉄山が一番低く 二等三角点だと天保山が一番低い山となり

それが 標高となると 宮城の日和山となると言う事なんです。

 

そもそも 三角点の 一等とか二等とかって何か?と思いますね

建築系を学んだ方には当たり前の言葉かもしれませんが

一般の方には チンプンカンプンだと思います。

 

国土地理院によりますと

三角点は、山の頂上付近や見晴らしの良いところ、利用や保全に適した公共施設の敷地内等に設置され、緯度・経度が正確に求められています。

明治時代に全国の地図作成のために設置したことが始まりで、

その後も、道路の建設・都市の開発等の公共事業に必要な位置の基準として利用されてきました。

三角点の種類としては

全国を一様な相対精度と密度で覆うため、階層構造のネットワーク(網)を形成しました。 網を形成する三角形を、大(一等)、中(二等)、小(三等、5万分1地形図作成に必要な密度)と順次作り、まずは一等三角網で日本列島の大枠の測量を実施し、近隣の一等三角点から二等、三等三角点の位置を決めているそうで

 

基線長が長い一等三角点同士の測量には、より高精度な測量機器と厳しい観測制限を用い、距離が短くなるに従い、観測の制限を緩和することで、末端の三角点の相対精度も上位の三角点と同じ10cmレベルに統一しており、利用者側からは一等~三等三角点に精度等の違いはありません。

 

と言う事らしいですが これを聞いても良く分かりませんが

それぞれの地域の方は 我こそが 日本一低い山のある町だと 言う事で自慢されたら

良いかと思います。

 

で 東京23区内にある愛宕山は 標高26メートルくらいですから

かなり低い山だと思いますが 日本一の低い山と比べてみると 高い山だと思ってしまいますね

 

さて この 愛宕山には 愛宕神社もあります 江戸時代は ここから江戸の町を見晴らす事ができました。

 

明治維新の時に 新政府軍が江戸総攻撃をする時に 勝海舟と西郷隆盛が 会見して

江戸城無血開城したと言う事は 学校で習ったかと思います。

そして その会見を行った場所は 三田の薩摩藩邸で その場所に行きますと

会見場所との説明書きが建っています。

 

確かに 無血開城を決めたのは 薩摩藩邸での会見だったかもしれませんが

 

その数日前に 二人は 愛宕山に登り そこで江戸の町を見下ろして

この町を焼き尽くす事など出来ないよね みたいな話をしていたとも言われています。

 

焼き尽くすのは 攻め入る新政府軍ではなく

実は 勝は新政府軍が江戸の町に攻めてきた時に向けて江戸の町を焼き尽くす焦土作戦を計画していました。

町を燃やして敵の侵入を阻み、その反面で私財を投じて市民を江戸から脱出させようと考えていたと言うのです

 

しかし 愛宕山から見た 美しい江戸の町を二人が見ることで

江戸城無血開城へと 話が進んだのでは と思います。

 

歴史にもしはありませんが

 

もし あのまま 徳川幕府が今も続いていたらどうなんだろうか???

と 妄想したくなります

 

もしかしたら、、、、、

 

の話は

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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