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社長&顧問ブログ

2022.11.25

文字焼がもんじゃへ??

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

お好み焼きからたこ焼きの話になり そして ナポリタン発祥の話になっていました。

普段何も考えずに食べているのですが

少し 視点を変えて興味を持ってみると 色々な事が分かって面白いです。

 

いつも言っていますが 何事にも興味を持ち 当たり前の事を当たり前と思わずに

いる事が 色々な発明の原点になっているのではと思います。

 

という事で

今日は 延び延びになっている 月島のもんじゃの話になります。

 

前にも書きましたが 月島は昔 築島と書いていたそうですが

それだと 築地と似ているからと言う理由で 月島に変えたそうですが

別に変えなくても良いのに 何故わざわざ変えたのかにも 興味が湧いてきます。

 

この月島は 昔は 本当に島で 今では 佃島石川島と一体となって陸続きなり

都内有数のウォーターフロントエリアで高級高層マンションが立ち並んでいる

人気スポットです。

殆どの人は昔そこに人足寄せ場や監獄があった事など知らないのでしょうね、、。

で この月島が いつの間にか もんじゃの聖地と言われるようになりました。

 

最近訪れてみましたが 驚いた事に もんじゃストリートなるものが出来ていて

私が学生時代とは様相が一変していて驚きました。

 

今日は この月島のもんじゃの歴史についてです。

 

近代食文化研究会『お好み焼きの物語』を読んでみますと、

現在の月島で盛んに食べられている、野菜で土手を作ってその中に汁を流し込むスタイルのもんじゃ焼きは、戦前には見られなかったという記述があります。

また、月島西仲共栄会商店街振興組合がまとめた「商店街の歴史」には、

月島の明治、大正、昭和の歴史が分かりやすく書かれています。

前にも書きましたが、明治時代に月島が埋め立てによって陸続きになったのです。

 

今で言う「勝どき」のエリアが埋めたてられ、沿岸の鉄工所や機械工場などで働く労働者が次々と移り住んできます。

そして大正時代から昭和の初めにかけて人口は膨れ上がり、月島には長屋が多く建ち並んで、子どももいっぱい育っていました。

その事もあり、月島の商店街や路地、空き地が子どもたちの遊び場になりました。

 

当時の駄菓子屋では、下町で広く食べられていた「文字焼き」と言われるお菓子が人気だったのです

文字焼とは、小麦粉やうどん粉を水で溶いた茶わん1杯程度の汁に、黒みつやしょう油を入れ、駄菓子屋で焼いて食べる軽食の事で。す

 

なぜ文字なのかと言えば、焼きながら鉄板の上で文字を書いたり絵を描いたりして遊んだからみたいなのです。

当時の子どもたちは、おやつを食べながら学んでいたのかもしれません。

 

それが 発展してもんじゃ焼になっていくようなのですが

では お好み焼きの発祥の店 浅草「染太郎」 たこ焼き発祥の店 大阪「会津屋」

のように

もんじゃ焼発祥の店はどこなのか???に

興味が湧いてきます。

 

その店とは?????

 

それは?????

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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