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社長&顧問ブログ

2022.10.4

方言

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 山形で起こったお面白い話でした。

山形駅前の 蕎麦屋で 博多弁で話していたことが

山形の人にとっては 珍しく それで一年近く経っても その印象が

強烈で覚えていたと言う話でした。

 

逆を考えれば もし 博多の蕎麦屋で 山形弁丸出しで 話しているオヤジが居れば

印象は強烈で 一年後に 博多の別な店でそのオヤジを見た場合

「あのオヤジ去年もいたぞ」 と言う事になりますね

 

しかし ちょっとショックだったのは 自分としては 一応県外ですので

標準語で話していたつもりだったのですが、、、

訛りは 中々抜けないのでしょうね

 

関西の方が一生懸命標準語を話ていても 関西の人とバレるのとおなじでしょうか、。

 

で 今日は 東京で起きた面白い話へと進まなければなりませんが

 

またまた 方言の話になってしまったので

もう少し方言の話を、、

昔 松本清張の砂の器と言う映画を見た時の話です。

 

犯人が東方弁を話していたと言う事から 捜査関係者が 東北方面に捜査しに行くのですが

中々犯人に結び付く手掛かりがなく捜査が難航していたところ

ある時 島根県だったか 島根のある地域の言葉が いわゆる東北弁だという事が分かり

それを手掛かりに捜査すると言う物語もありました。

 

狭い日本でも色々な方言があるモノだと思ってしまいますが

鹿児島弁や青森弁などは 方言としてもかなりキツク感じますね、

 

幕末の頃 江戸や京都には 色々な藩の人がいました。

特に幕末維新の頃は 日本中の志士たちが京都へ集まって来てたと思うのですが

当然 当時は標準語がありません。

打倒幕府の密会をしてた時には 各地区から来た志士たちは どのように

意思疎通を図っていたのか興味が湧きますね

 

色んな方言はあるけれど 不思議な事に書き方は共通だとおもいますので

意外や意外に 筆談をしていたのかとか 思ってしまいます。

 

幕末の頃のドラマがありますが 全員標準語で話ていますので

何の違和感も感じませんでしたが

ちょっと見方を変えると色々な興味が湧いてきますね

 

江戸幕府としてじゃ あえて標準語を作らない事が 統治を行う上でも

重要ではなかったのかと思います。

当時はテレビ ラジオ等ありませんから

あえて 標準語はと言うと それは 謡曲であったり 庶民は浄瑠璃を見て

言葉を学んでいたのではと思います。

 

しかし 先ほど筆談の事を書きましたが

武士は勉強の為に大体漢文を勉強していましたから 書くことは苦手では無かったと思います

 

幕末に日本の歴史を大きく動かした薩長同盟締結が

双方の言葉に慣れた坂本龍馬ら亡命土佐人の仲介を必要とした・・・

というのも頷けるような気がします。

実際、長州弁はまだしも、

沖縄を別にすれば日本一難解と言われた薩摩弁を桂小五郎が理解したようには思えません。桂が同盟締結書の裏書に立会人である龍馬のサインを欲しがったというのもそういうことで理解できます。

意思が確かに通じていますと言う意味のサインだったという事になりますね

 

 

などなど

方言の話になってしまいました

東京でも面白い出来事とは????

 

明日に続く、、、、、。

かも。

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