
EXECUTIVE BLOG
2026.10.28
高光産業株式会社
妹尾八郎です
今から四十数年前の東京、原宿。
日曜日の表参道を、何とも奇妙な一団が歩いていました。
魔女やお化けなど、思い思いの姿に仮装した人々です。
その数、およそ100人。
道行く人々は、驚いたことでしょう。
いったい何が始まったのだろう?。
何のお祭りなのだろう???。
当時の日本では、
ハロウィンという言葉さえ、ほとんど知られていなかったのです。
実はこれ、
1983年に原宿の玩具店「キデイランド」が開催した、
日本でも最も早い時期のハロウィンパレードの一つでした。
今では、全国各地でハロウィンの催しが開かれています。
しかし、その出発点をたどってみると、
実に小さな催しだったことが分かります。
私はこの話を知って、何とも興味を引かれました。
そもそも、なぜ当時、
まだ誰も知らないような外国のお祭りを、
日本の街でやってみようと思ったのでしょう???。
調べてみると、
キデイランドでは1970年代からハロウィン関連の商品を販売していました。
そして、
その楽しさをもっと多くの人に知ってもらおうと、
仮装パレードを企画したのです。
最初は商品の販売促進という目的もあったのでしょう。
けれど、考えてみれば、
これもなかなか勇気のいることだったと思います。
今のように、
ハロウィンなら人が集まると分かっている時代ではありません。
仮装して街を歩こうと呼びかけても、
どれほどの人が参加してくれるか分かりません。
周囲の人々には、奇妙な催しだと思われるかもしれません。
それでも、実際にやってみた。
私は、ここに心を引かれたのです。
当時の記録によると、
参加者には外国人も多く、
突然現れたお化けの行列に、表参道の人々は大いに驚いたそうです。
その様子を想像すると、思わず笑みがこぼれます。
仮装している人たちは楽しそうに歩いている。
しかし、
周りの人たちは、何が起きているのか分からない。
今では当たり前になったハロウィンの光景も、
最初はそんなところから始まっていたのですね。
そして、1986年には参加する親子が約400人に増え、
テレビ局の取材も訪れるようになりました。
少しずつ、
この不思議なお祭りが知られるようになっていったのです。
ところが、
日本のハロウィンが大きく変わるきっかけは、
さらにその後に訪れました。
1997年。東京ディズニーランドが、
初めてハロウィンのイベントを開催したのです。
今では秋の大きな催しとして知られていますが、
最初は10月31日の、たった一日だけの開催でした。
しかも、パーク全体ではなく、
一部のエリアで行われた小さな企画だったそうです。
私は、これにも驚きました。
今ではあれほど華やかなハロウィンの世界も、
最初から大がかりなものだったわけではないのです。
当時、企画した人たちの間にも、
日本で本当に受け入れてもらえるのだろうかという不安があったといいます。
それでも、
新しい楽しみ方を届けたいという思いから、挑戦が始まりました。
そして、その試みが好評を得て、
開催期間も次第に長くなり、
日本の秋を代表するイベントへと成長していったのです。
同じ1997年には、
神奈川県川崎市でも「カワサキハロウィン」が始まりました。
こちらは映画館「チネチッタ」
の開業10周年を記念して企画されたものでした。
最初は参加者を集めるのにも苦労したそうです。
しかし、
街を盛り上げようという関係者の思いが、
少しずつ人々に伝わっていきました。
やがて、
その催しは多くの人々が集まる、
大規模な仮装パレードへと育っていったのです。
こうして振り返ると、日本のハロウィンは、
誰か一人が広めたものではなかったことが分かります。
玩具店の人々。テーマパークの企画担当者。
街を元気にしようと考えた商店街の人々。
そして、その催しに参加して楽しんだ大勢の人々。
それぞれの小さな挑戦が重なり合い、
今の日本のハロウィンが形作られてきたのです。
私は、ここに日本人の面白さを感じました。
もともとヨーロッパに古い起源を持ち、
アメリカで大きく発展したハロウィン。
それが日本に伝わると、また違った楽しみ方が生まれました。
日本では、
子どもたちがお菓子をもらう行事としてだけでなく、
大人も仮装を楽しみ、
街全体を飾りつけるイベントとして広がっていきました。
お店には、かぼちゃを使ったお菓子が並びます。
飲食店では特別な料理が用意され、
街のあちらこちらで、
思い思いの衣装に身を包んだ人々を見かけるようになりました。
外国から伝わった文化を、
そのまま受け入れるだけではなく、
自分たちなりの楽しみ方を加えていく。
考えてみれば、
日本には、昔からそうした柔軟さがあるように思います。
外国から伝わったものが、
長い年月の中で、
日本人の暮らしに合うように姿を変えてきた例は少なくありません。
そして、
いつの間にか、それが日本の文化の一部になっているのです。
しかし、今回、私が最も心を動かされたのは、
ハロウィンが大きな市場に成長したことではありません。
最初の一歩を踏み出した人々のことです。
まだ誰も知らない。成功するかどうかも分からない。
それでも、面白そうだからやってみよう。
そんな気持ちで、新しいことに挑戦した人たちがいた。
私は、そのことが何より素晴らしいと思いました。
世の中には、
最初から成功が約束されていることなど、そう多くはありません。
むしろ、新しいことを始めようとすると、
周囲から不思議がられたり、
無理ではないかと言われたりすることの方が多いものです。
けれど、
誰かが最初にやってみなければ、新しいものは何も生まれません。
原宿で100人ほどが仮装して歩いた、あの日。
その人たちの中に、四十年以上先の日本で、
これほど多くの人々がハロウィンを楽しむようになると想像した人が、
どれほどいたでしょうか??。
おそらく、ほとんどいなかったのではないでしょうか。
けれど、あの小さな催しは、
確かに日本のハロウィンの歴史の一部になりました。
そして私は、もう一つ考えました。
新しい文化を生み出すのは、
何かを考えた人だけではないのかもしれません。
その考えに面白がって参加してくれる人がいて、
初めて文化は育っていくのでしょう。
最初の100人ほどの参加者がいなければ、
あのパレードは成立しませんでした。
企画した人も素晴らしい。
しかし、
まだ誰もやっていないことに、
面白そうだから参加してみようと思った人たちも、
同じくらい素晴らしいと思うのです。
そして、その輪が少しずつ広がっていく。
誰かが楽しんでいる姿を見て、自分もやってみたくなる。
今度は、その人が別の誰かを誘う。
そうして、
一つの新しい文化が育っていくのかもしれません。
私はこれまで、いろいろな仕組みやアイデアを考えてきました。
しかし、どれほど面白いことを思いついても、
それを実際に使い、楽しみ、役立ててくれる人がいなければ、
世の中には広がっていきません。
今回のハロウィンの歴史を知って、そのことを改めて感じました。
考える人がいる。実行する人がいる。
そして、一緒に楽しんでくれる人がいる。
その積み重ねが、
やがて想像もしなかった大きな変化を生み出していくのでしょう。
さて、ここで私は、
今の日本のハロウィンについて、もう一つ考えてみました。
あの原宿の小さなパレードから、四十数年。
今では日本の秋の風景を彩る、大きな行事になりました。
親子で仮装を楽しむ人もいれば、友人同士で衣装を工夫する人もいます。
お店の人たちは飾りつけを考え、子どもたちが喜びそうなお菓子を用意します。
そんな光景を見ていると、
ハロウィンが日本に広まった理由も、少し分かるような気がします。
人間は、誰かと一緒に楽しむことが好きなのでしょう。
そして、
誰かが楽しんでいる姿を見ることも、また楽しいものなのです。
ただし、
大勢の人々が集まるようになると、
最初の頃にはなかった問題も生まれてきます。
楽しむ人にとっては、年に一度の特別な夜。
しかし、
その街で毎日暮らしている人たちにとっては、
いつもと変わらない生活の場所でもあります。
実際に、日本各地のハロウィンでは、
混雑や騒音、ごみなどが問題になることもありました。
せっかく人々を笑顔にするために始まったお祭りが、
誰かを困らせるものになってしまっては、何とも残念なことです。
ここにも、考えてみたいことがあります。
自分たちが楽しむことと、周りの人々にも喜んでもらうこと。
その二つを両立させるには、どうすればよいのでしょうか????。
その話しは??????
明日へ続く、、、。