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社長&顧問ブログ

2022.10.14

日本最初の食堂車

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 松本清張の女性観の話から

食堂車の話 そして 寝台特急の話へと展開してしまいました。

 

松本清張の 地方紙を買う女の 話へ 今日は展開する予定ですが

 

食堂車の事を書いているうちに 食堂車に興味が湧いてしまい

その起源っていつなんだろと思い 少し調べてみました。

 

で 分かったのは5月25日が食堂車の日という記念日だという事だったのです。

記念日は記念日ですが 特に祝日ではないので あまり気にしてなかったと思うのです。

 

食堂車の日というのは

日本初の食堂車が、私鉄の山陽鉄道(現在の西日本旅客鉄道の山陽本線)に、

食堂付き一等車が登場したことを記念して制定された記念日だそうです。

 

食堂車が初めて登場したのが、1899年(明治32年)5月25日であったのにちなんで記念日の日付が決められていますが、

どの路線に食堂車ができたのか?にも興味ありますね

それは

神戸から現在の防府の間で運行された私鉄の山陽鉄道では、

官設鉄道直通の京都から山口県防府までを走行していた急行列車に

食堂付き一等車を連結して

これが日本で初めての食堂車だと言われています。

 

食堂車ができた当初は、一等旅客、二等旅客の専用の洋食堂車のみだったそうで、

その為、一般の三等旅客には食堂車は無縁の存在だったのです。

初期の頃は庶民には必要ないと考えていたのでしょうね

庶民は 手弁当で乘って来ると考えていたのだと思います。

 

しかし

1906年(明治39年)4月Ⅰ日には、

新橋~神戸間の三等急行列車に和食堂車が登場しました。

これで、誰もが食堂車を利用できるようになったようです。

 

当時の食堂車は、一・二等旅客は洋食堂車であるのに対して、

三等旅客は和食堂車だったそうで、

これは、日常的な生活習慣を考慮して、「洋食」と「和食」で分けたようです。

上級国民は 洋食で 庶民派和食で良いだろとの考えだったのでしょうか?

 

このような歴史で 食堂車が出来て来たのですが

そういえばと思う事があるのです

 

今では 新幹線は 東京から鹿児島まで繋がっていますが

昔は 東京から大阪でした。

確か 昭和39年くらいだったと思います

 

この当時には新幹線には 食堂車がなかったのですが

新幹線が博多まで開通したとき 新幹線に食堂車が出来たようです。

 

と言うのも 幾ら新幹線とは言え 当時は 東京から博多まで

約7時間掛かっていた時代です。

 

3時間程度であれば 食堂車は必要なかったのでしょうが

さすがに 7時間ともなりますと

食堂車は必要だとの考えになったのではと思います。

 

実際私も 何度も新幹線の食堂車を使っていました。

 

しかし 今現在 新幹線に食堂車が無い事にふと気が付いたのです。

 

少しは時間短縮になったとは言え 東京から博多まで たしか5時間以上かかったと

思います。

食堂車を無くす程の時間ではないとは思うのです。。

 

では 何故 新幹線から食堂車が無くなったのか?????

 

それには

時代ならではの理由があったのです、、、

 

その理由とは??????

 

それは???????

 

明日に続く、、、、、、。

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