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社長&顧問ブログ

2021.8.6

昭和天皇ご聖断

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

昨日までは76年前の

ポツダム宣言受諾に向けての話でした。

 

そして 78年前の今日 広島に原爆が投下されたのでした。

先ず この事を思い 犠牲になった御霊様の立ち行きを祈りたいと思います。

 

この原爆投下は 硫黄島から沖縄戦で 米軍側に多大な被害が出た事から

早急に 終戦に持ち込みたいと考えた米軍が使用に踏み切ったと言われていますが

 

この投下により 軍人だけでなく 一般市民をも巻き込んだことに対して

これは 無差別攻撃だったのではと非難も出ているようです。

 

又 今でも多くの方が まだ原爆症で悩んでいると言われています。

 

私は 数年前に広島に行った時に テレビにもよく出て来る トーチ型の慰霊碑まで

行き そこで 祈りを捧げようとしたときに いきなり 涙が溢れ出てしまったことを

覚えています。

彼らの犠牲のもとに 今日の平和が保たれているのだと思うのでした。

 

78年前 原爆が広島に投下され すぐに 終戦に向けてポツダム宣言を受諾すれば

良かったのでしょうが 判断に迷っているうちに

9日は 長崎に原爆が投下され 又ソ連が参戦すると言う事態を招いてしまったのでした。

この期に及んでは さらなる犠牲が大きくなる前に決着を付けようとする

外務省や総理に対して

軍部 特に陸軍は 徹底抗戦を訴えるのでした

そして 戦争指導会議や 閣議において ポツダム宣言受諾についての議論をおこなうのですが

天皇の大権が保証されない以上 受諾すべきではないと言う 軍部側の強烈な抵抗のため

結論を出す事が困難と考えた 鈴木首相は

最後のウルトラCとして 天皇陛下のお召しによるという理由をつけて

最高戦争指導会議と閣議を一緒に行い そこで ご聖断を仰ぐと言う手に出たのでした

 

御前会議を阻止しようとしていた軍部もこの手を使われてしまっては 反対することが

出来なかったのです。

 

そしていよいよ

8月14日 正午に 当時44歳であった天皇陛下は

参加した各員の前で 自分の意見を述べるのでした。

その言葉とは

「自分が股肱と頼んだ軍人が武器を取り上げられたり 戦争犯罪人として処刑されるかもしれないと考えると本当に堪らない。

このさい 自分で出来る事はなんでもする マイクの前に立ち国民に呼びかける。

軍人は非常に動揺するであろうから 陸海軍の大臣がもし必要と言うのであれば

何処へでも出向き 親しく諭してもよい」

涙を浮かべながら語ったのでした。

 

これを聞いていた閣僚たちは 深く頭を下げ嗚咽しながら涙を流しながら聞いていたのでした。

 

言うまでもなくポツダム宣言受諾と言う事実は 「休戦」ではなく、「降伏」なのです。

戦争を単にやめると言うばかりではなく

国の成り立ち、天皇の座そのものがどうなるかも分からないのです。

 

国民をこのうえ無意味な犠牲から救うためには降伏と言う手段しか残されていなかったのです。

戦争を中止することが絶対に必要だから たとえこの身がどうなってもよいとまで

言われる天皇陛下の痛ましさが閣僚たちの心も身も引き裂いたのです

悲痛な空気はやがて慟哭へと変わって行ったのでした。

 

天皇陛下の発言が終わり 鈴木首相が立ち上がり 終戦詔勅案奉呈の旨を拝承し

聖断を煩わせた事を詫びて深々とお礼を申し上げたのでした。

 

このご聖断で ポツダム宣言を受諾するとの方針は決まり 各大臣は

一旦各省へ戻ることになるのですが

 

陸軍省だけでは 血気盛んな将校たちが 阿南陸軍大臣の帰りを

今や遅しと待ち構えていたのでした。

 

そこで

 

将校たちは どのような行動をとることになるのか?

 

それは

 

明日に

続く、、、。

 

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