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社長&顧問ブログ

2021.6.21

東京大空襲

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは いつの間にか 太平洋戦争の話に逸れてしまってました。

 

ただ 平和を守るために 既に戦争経験者が少なくなった今は

我々世代が 祖父や両親から直接聞いた話を 後世に伝えて行くのも

大切な事ではと思ってしまいます。

 

先日ある世論調査によると

今の若者が 第二次世界大戦で 日本がどこと戦っていたかを質問したところ

その時の敵国が アメリカだったことを知らない若者が多数居たという報告が

されていましたが

もう戦争も風化してしまっているのかもしれませんが

ここのブログで書いているような 悲惨な出来事が多くあった事も残す必要があると思います。

 

悲惨な出来事を上げればキリがありません

先日書いた 沖縄の鉄の雨もそうですし 疎開船対馬丸の話もそうです。

勿論 広島 長崎の原爆も悲惨な出来事の一つですが

 

今日の話は 東京大空襲の話です。

それは

昭和20年3月10日未明、米軍は東京の下町地区を中心に大規模な空爆を行ったのです。同月下旬には沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸し、住民が戦闘に巻き込まれる悲惨な地上戦が行われたのですが、

東京大空襲でも多数の非戦闘員が殺害されたのです

 

東京大空襲に投入された米軍爆撃機B-29は約300機、死者は10万人を数えました。投下された爆弾は、無数の焼夷弾を束ねたクラスター爆弾であり、

現在では非人道的兵器とされているものなのです。

こうした事実だけでも、東京大空襲の残虐性が理解できると思います。

そしてあり得ない事に

東京大空襲は、戦闘員と非戦闘員、軍需工場と一般住宅を区別せずに空襲した

「無差別爆撃」だったのです。

 

更に、米軍資料から分かった事は、

米軍はむしろ非戦闘員と一般住宅をあえて狙って攻撃したようなのです。

その意味で言いますと

東京大空襲は「無差別爆撃」ではなく「選別爆撃」とも言えるのではないでしょうか??

 

当時そこで生き残ったからの話を聞きますと

この下町は 隅田川と荒川に挟まれた地域になるのですが

米軍の焼夷弾投下は その両側から内側に向けて投下されてきたと言う話なのです。

 

これは 何を意味するかと言いますと そこの住人は 逃げようにも 川に向かっては逃げられません 住民たちは内側へ内側へと炎に追われて逃げて行きます

しかし 両側から炎は襲ってくるのです。

これ以上聞くのも語るのも辛いですが

住民は 逃げ場を失って そこで10万人近くが丸焼けにされてしまったのです。

 

二時間程で これだけの一般人が亡くなったのは 後の原爆投下の時くらいと言われています。

 

当時 この作戦を指揮した将校は 後に もし 米軍が戦争に負けていたら

自分は 大犯罪者として死刑にされていただろうと語っているそうです。

自分自身非人道な作戦だったと認めているのです。

 

この時の様子を対岸で目撃した方の息子さんが私の友人として居るのですが

彼が その時の模様をお母さんから聞いた話によりますと

無数の焼け焦げた死体が 隅田川を流れていたと言うのです。

 

そのお母様も当時は 小学生時代に目撃しているのですからどんなに恐ろしかったかと

思います。

 

これだけの 大惨劇が起きているにも関わらず

当時の政府からは

あり得ない発表が後日国民に向けて流されたのです

 

その内容とは???

 

 

それは

 

明日に続く、、、。

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