EXECUTIVE BLOG
2023.3.2
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 二月二十六日が 二・二六事件だたっという事もあり
二・二六事件の内容でした。
憲法も変わっていることもあり
昔の軍隊の出来事は理解できない事が多々あります。
軍隊の中に
皇道派と統制派の対立があた事から
二・二六事件は引き起こされた事件であったと言えます。
この 首謀者たちは
後に 処刑されることになるのですが
その処刑場跡が渋谷に在ったとことなど 殆どの方はご存知ないですね
しかし 今でも そこには 慰霊碑が建っていますので
間違いなくそこが処刑場だったことは認識させられます。
この二・二六事件の時に反乱軍側に立った多くの兵士は
当時の歩兵第一連隊の兵士たちでした。
師団とか連隊とかは 映画でも良く聞く言葉です
部隊の編制の呼び方でもあります
そして
この時の歩兵第一連隊があった場所は
なんと これは殆どの方がご存知のはずの
今の 東京ミッドタウンがある所です。
今では 平和で人々が行き交う 東京ミッドタウンのところに
歩兵第一連隊があったのです。
でも 思い出して欲しいのですが
東京ミッドタウンが出来る前は ここには
何があったのか?
建て替わってしまいますと 昔の事はすっかり忘れてしまいますが
この地は 防衛庁があったところです。
防衛庁は今では 防衛省となって 市ヶ谷に移転してます。
そして市ヶ谷の防衛省がある場所が 昔の陸軍省があったところで
終戦時には ここで 阿南陸軍大臣が 将校を集めてポツダム宣言の受諾を
決めた事を伝えた場所でもあります。
また 戦後は自衛隊の施設でしたが
ここに 作家の三島由紀夫が当時の東部方面総監を人質にとって
自衛隊にクーデーターを起こすようにバルコニーから
縁演説を行った後 総監室で割腹自殺を遂げた場所でもあります。
市ヶ谷の防衛省の場所も 過去には色々な出来事があった場所なのです。
二・二六二件で多くの兵士が駆り出された時の歩兵第一連隊長は
事件後 責任を問われる形で解任されました。
そして
その後を継いで 連隊長に就任したのが 牛島満でした。
この牛島満をぱっと誰かは思いつかないかもしれませんが
終戦間際、沖縄軍総司令官となり
沖縄を守るために最後まで戦い抜いた上に
割腹自殺をされた軍人ですので 映画とかで ご存知の方は多いかと思います。
この牛島は二・二六事件のあとの歩兵第一連隊を率いる事にあるのですが
この部隊は事件後
報復的な扱いを受けて
当時で言えば最前線である満州に送り込まれる事になりました。
牛島連隊長は 凄く人情に篤い方でしたので
腐る兵士一人一人に語り掛けていかれたそうです。
軍人として 慕われていたのですが
圧倒的な数を誇る米軍に最後まで沖縄では抵抗したのですが
最後は全滅と言う形で命を絶つことになりました。
余談ですが、
彼は 鹿児島県の出身で その副官として従軍していたのは
福岡県粕屋郡出身の 長勇でした。
この方のお墓を我が社から近い福岡県の糟屋町にかつて見つけた事があります。
小高い山の頂上にお墓があり 粕屋町を見下ろすように建てられていました。
このように 今の時代でも
当時の事を思いださせる 祈念碑やお墓が結構身近にあるものだと思います
そして、
二・二六事件の首謀者たちの 墓も意外な所にあるのです
それは
どこなのか????
こんなところに?????
は 明日に続く、、、。