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社長&顧問ブログ

2022.5.15

比翼塚

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

明暦の大火から 八百屋お七の火事の話

それから 明暦の大火と関東大震災が起きた事で 吉祥寺と言う町が

出来て 今や東京でも人気のスポットになっていると言う話でした。

 

そして 本当のお寺の吉祥寺は 文京区本郷にあるのですが

散歩がてら言ってますと そこに 二宮金次郎の墓もあったと言う話でした。

 

他にも何かあるのかと探していますと

なんと そこには あの八百屋お七と吉三郎の名前が入った比翼塚と言う

石碑が建っていたのです。

 

八百屋お七のお墓は この吉祥寺ではなく

この吉祥寺のある文京区本郷からの近くの 白山の 円乗寺にあるのです。

 

吉祥寺の比翼塚と円乗寺のお墓の差は何なのか? にも興味が湧きます。

 

お七のお墓は、円乗寺参道西側にあります。

お墓は3基あります。

昔は屋根がなかったそうですが、現在は屋根が造られています。

 

3基の中央は、円乗寺の住職が供養のために建てたものだそうです。

 

奇妙な事に中央のお墓が丸く削られているのですが、

これは、一時期、お七のお墓を削った石粉をもっていると御利益があるという噂がひろまり、墓石が削られてしまったということなんだそうです。

 

右側のお墓は、寛政年間に歌舞伎役者の岩井半四郎がお七を演じたことが縁で、

お七を供養するため建立したものだそうです。

 

墓碑正面には「妙栄禅定尼」とお七の戒名が刻まれています。

左側のお墓は、まだ新しく、

町内の有志がお七の270回忌法要のために建てたものだそうです。

 

こんなにも長く供養して頂ける犯罪者はそうは居ないと思いますね、

 

で一方

本郷 吉祥寺にある お七と吉三郎の比翼塚とは 一体何なのかです、、。

が 調べてみますと

文学や歌舞伎、文楽などで有名になった事で

この「八百屋お七と吉三郎比翼塚」

は文学愛好者により昭和41年(1966)に建立されたものなのだそうです。

 

今でも人気者なのですね、、、、。

 

で なんで比翼塚と言うのか??ですが

 

比翼塚とはは、

愛し合って死んだ男女や心中した男女、仲のよかった夫婦を一緒に葬った塚なのだそうです。

 

お七の話は 小説にもなってよく知られていますが

恋人の吉三郎は どうなったのか???をご存知の方は少ないと思います

 

お七が放火した時、吉三はというと、体調を崩していたと言うのです。

周囲が心配し、事件のことは何も伝えていなかったのだそうですが、

寺がその事を告げたのは百ヶ日の朝だったそうです。

吉三は後を追って自殺をしようとするのですが、

お七の遺言が「私を弔ってほしい」であったと聞き思いとどまったと言うのです。

 

その後吉三は出家し、目黒・明王院に入って、

供養のため目黒不動と浅草観音を嵐の日も念仏を唱えて歩いたそうです。

有名な目黒雅叙園は、その明王院跡になるらしいです。

 

この目黒雅叙園内には、吉三郎が使っていたと伝わる「お七の井戸」がありますよ。

興味のある方は是非ご覧になってください。

 

このように散歩しているだけで 色々なモノが分かって面白いです。

 

明日は またまた 自宅の近くの 谷中霊園で見つけた

あの人の墓は?????

 

に続く。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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