EXECUTIVE BLOG
2022.11.1
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 倉庫会社である我が社にも
トヨタかんばん方式のカイゼンの波が押し寄せたという話でした。
得意様がこの生産方式を取り入れた事により 徹底的な無駄の排除に乗り出し
その為 九州の在庫をゼロにするという計画に対して
この事を 私は社の反対を押し切り 徹底して受け切ることで
ここから新生産方式を学ぶ事で 新たな 配送体系を確立したと言う話でした。
常識で考えれば 積極的には協力をしないで なんとか なし崩し的に
在庫ゼロの計画を諦めさせようと思うのでしょうが
そうではなく 逆の発想で そうなるのであれば ここから この仕組みを
学ぶ事でこれから 新しい物流の仕組みを作り上げたのです。
その時の苦しみが後々大きな成果となって 九州で初めてのスルー型配送を
完成させることが出来たのでした。
この時に 思い出したのが
太平洋戦争開戦時の 陸軍大将 永野修身の言葉でした。
その言葉が
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。~戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。」
です。
これを 私は チャレンジもしないで諦める事は滅びる事と同じだと 思い、
無理とはわかっていても チャレンジする道を選んだのでした。
まさに 死中に活を求める 心境で取り組んだ結果が 新しい仕組みを産み出す事に成功したのですから 永野修身の言葉を借りれば このチャレンジ精神さえ残れば再起できるという事になります。
太平洋戦争からかなりの時間がたってますので
一体 永野修身って誰???? と思う方の方が圧倒的に多いと思います。
せいぜい 軍人の名前で 聞いた事があるのは
山本五十六か 明治の時代の 東郷平八郎くらいと思います
そこで 永野修身について少し、、、
永野修身は土佐の人です。
一番尊敬していた人が、同郷の坂本龍馬だったそうです。
永野修身自身は、土佐藩の士族(上士)の家柄です。
明治1890年生まれで、現・高知県立高知小津高等学校を卒業後、
海軍兵学校に入学しています。
兵学校では、入学時、卒業時とも成績は2番だったそうです。
24歳のときに、日露戦争が始まるのですが、開戦のときは、巡洋艦香港丸乗務でした。
その後、旅順旅順要塞攻撃の海軍陸戦重砲隊の中隊長に任官しています。
皆さんご存知の司馬遼太郎は、
日露戦争のことを描いた「坂の上の雲」で、
旅順要塞を20センチ砲で陥落させた後、
要塞から眼下に見える旅順港に停泊するロシア太平洋艦隊にすかさず砲撃を加え、
敵艦隊をあっという間に撃滅してしまったかのように書いていますが、
実は、これは事実とかなり様子が違うようです。
坂本龍馬についても 最近の経営者の中には 尊敬する人物の一番に坂本龍馬を
挙げる方が多いですが
彼らが知っている 坂本龍馬は 司馬遼太郎が描いた坂本龍馬で、
今ゆる司馬史観を信じている人です。
旅順港攻撃も 直接攻撃したかに書かれていますが 実は ちょっと
事実とは違う様です。
では
どのように違うのか?????
それは?????
明日に続く、、、、、。