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社長&顧問ブログ

2023.9.25

江戸の巨大産業

 

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

先日タクシーに乗った時の運転手さんが 静岡県大井川出身と言うので

「越すに越されぬ大井川だね」と言う話で盛り上がった話でした。

 

この大井川には渡し船がなかったのでしょうか?と疑問が湧いてきますが、

我々が学校では

「 江戸を守るための軍事的な理由から、幕府によって大井川には橋を掛けることが許されていなかった」

と習ってました。

しかし、これはどうやら真実とは異なるだと言うのです。

 

大井川に橋がかけられていなかった理由は、いくつか考えられていて

まず、川の勾配や川幅といった地形的な問題や水量などを考えると、

当時の架橋技術では橋を架けることが困難であったと言う説があります。

 

 

 

確かに明治になって大井川に橋がかけられましたが、

その長さは900mにもおよび、世界一長い木造橋といわれました。

と言う事は

江戸時代の架橋技術でそれだけの橋を作ることは、実際に難しかったのか

と言う事になります。

 

しかし、

それだけが理由ならば、なぜ渡し船がなかったのかという疑問がわいてきます。

実は、

ここに大井川になぜ橋がかけられなかったのかという本当の理由が隠れていると言うのです。

 

大井川に橋を作ることが技術的に困難であったにしても、

実際に渡し船を使ってわたることは可能だと思いますね、

渡し船があれば、難所といわれた大井川もずいぶんとわたりやすい川になったはずです。

普通に考えれば

渡し船を認めてほしいという請願が幕府に対して何度も出していたと思いますし

事実 そのような願いが出ていたようです。

 

しかし、幕府はそれを頑なに認めようとしませんでした。

それはなぜでしょうか?

 

江戸時代の前期のころ大井川の両方の宿で、川越人足を束ねる組織がつくられ、

その業務を独占的に行うことを幕府から認められていました。

川越人足は、最盛期には1000人程度もいたといわれていますから、

当時においては巨大産業だったと言えますね、

 

もし、幕府が渡し船を認めてしまうと、

これらの川越人足たちが職を失ってしまうことになります。

これだけの規模になってしまうと、

幕府もその既得権益を保護せざる負えなくなってしまったと考えらえます。

 

多くの旅人たちが望んだ渡し船を出すための請願を、

幕府が何度も握りつぶしてしまった背景には、

巨大産業としての川越人足制度をなくすわけにはいかないと言う裏の話があったのではと

言われています

更に 今で言う既得権益です それこそ この権益を持っている部署が幕府の中にもあったはずです。

 

 

もしかしたら この利権を握っている人物に 多くの献金がなされていたと考えるのは

不自然でしょうか????

 

ありそうな話に思えてしまいます。

 

他にも 大井川の川渡しにには 面白い話があります

 

現代での使われている 「ゆすり」 「たかり」と言う言葉も

この川渡しから産まれたと言われています

 

その理由は????

 

 

明日に続く、、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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