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社長&顧問ブログ

2020.11.16

犬鳴峠を観光名所へ

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

何故か 福岡県にある犬鳴峠が最恐心霊スポットと

言われているのですが

そのほとんどが 何の根拠もない噂話なのです

私は見ていませんが 犬鳴峠に関するホラー映画も上映されていたようですが

福岡にもそれを 鵜呑みにしている人が私の周りに居たのには驚きました。

ホラー話が好きな人は 何の根拠もない都市伝説などを信じてしまうのでしょうが

そもそも 日本国憲法が及ばない地域だとか 普通に考えるとあり得ない事

だと言うことぐらい分かるはずですね。

反対に

この犬鳴峠は福岡黒田藩にとりまして歴史的に意味がある地区だったのです。

 

そもそも犬鳴は江戸時代中期、1691年(元禄4年)以前に福岡藩庁が城下、

地行町に居住していた御譜代組足軽に移住を命じ成立させた村落なのです。

 

そして福岡藩中老の加藤司書が1854(安政元年)に犬鳴日原鉄山を造るのです。

これは、犬鳴山周辺は江戸時代、藩の御手山として、木炭や紙など林産資源や、銅・鉄の産地・精錬場として枢要な地だったからなのです。

大砲・武器製造など海防・軍備強化の目的で、中国地方の石見津和野のたたら製鉄技術を参考にし、職人も呼び寄せ製鉄所は元治元(1864)年まで操業してたのです。

更に1865(慶応元年)に有事の際の藩主の避難場所として犬鳴御別館を建造させたのです。

何故そのようなものを建設したかと言いますと

福岡城下が外圧による有事が起きた際に、藩主が避難する場所として必要だとの

考えからなのです。

犬鳴山は天然の要塞にもなりますし、その丘陵地は犬鳴峠や薦野峠から福岡城下へも通じる事が出来たからなのです。

 

 しかし、この犬鳴御別館建設は、思わぬ波紋をその後福岡藩内に投げかけました。

 

 慶応元(1865)年、藩内佐幕派の告げ口により、司書の御別館築城が、

藩主の押し込め・藩乗っ取り準備の嫌疑をかけられたのでした。

その事で加藤司書は同年5月23日に家老職を罷免されて幽閉され、

後に多くの勤皇改革派の同志が逮捕・処分され、

司書も10月25日に天福寺で切腹させられたのです

この事をいわゆる乙丑の変・乙丑の獄と呼びます。

この様に 犬鳴は歴史的に見ても重要な場所であることが分かるだけでなく

近隣は風光明媚な景色満載なのです。

最恐心霊スポットと言うより 観光スポットに変える努力を我々地元の人間がしなければ

ならない筈なのですが

このような土地であるにも関わらず 地元出身の人間までもが妙な映画を見て

その映画の話を信じたり噂話や都市伝説信じていることには情けなくなります。

 

この加藤司書と言う人物をなくしたことも 福岡藩にとりましては

大変痛かったのですが、その後起きたあり得ない事件が

もし現代であれば 大変な事をしでかした事になるのです、

 

そのあり得ない事件とは??

むしろこちらの方が 犬鳴最恐話より怖い話だと思います

 

それは

 

明日に続く、、。

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