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社長&顧問ブログ

2021.9.22

現代の三奇人になれるのか??

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

ITの話から逸れまくって 黒船来航の話になってました。

 

ここで 言いたかったのは

江戸幕府にも きちんと情報が伝わっていたのにも関わらず

きちんとそれを分析して対応出来ていなかったという事です

 

これは 昔の人だから無理だと言う話ではなく

今は その情報が 一段と早く色々な通信手段で入ってきます

しかし それを分析できなければ意味がないという事なのです

 

発進する側も 手紙ではダメ だから メールで いやメールではダメで

ラインでなければ いやSNSで発信しなければと 今では手段の話ばかりになっていますが 大切なのは中身 すなわちコンテンツであることは 今も昔も変わりはないという事なのです。

江戸時代にも沢山の情報は オランダからや中国からも入っていたと思います

それを上手く利用していたのは 商人のほうではなかったかと思います

 

黒船来航の時の 庶民の逞しい商魂のほうが面白いですよね

 

あれだけ長く鎖国をしていれば 管理する側の幕府も頭は カチカチに固まっていて

柔軟な発想は出来なかったのでしょう。

 

そんな江戸時代の中でも ちょっと毛色が変わっていたのが 田沼意次だったと思います

我々の時代の教科書では 田沼は 悪徳政治家で 賄賂を沢山もらっていた悪人だとの

評価を受けていましたが

彼は 飢饉対策として 北海道を開発しようとしていたり 学問も大いに奨励したようです。

彼が可愛がってた一人に

寛政の三奇人の一人 林子平が居た事は ここのブログでも何度も書いていますね

 

彼は 1785年に 三国通覧図説と言う本を書いております

これはペリー来航の70年ほど前の話です

 

今は 戦後76年ですから 今の人が 終戦の話をきいてもピンとこない位

の当時としては遥か昔の感覚だったと思います

 

しかし この彼は 日本が窮地に陥るとすれば 外国からの攻撃によるものだと

主張していたのですが

当時は 鎖国真っ最中で このような研究をするとはけしからんという事で

幕府に捕らえられてしますのです

同じ時期には 田沼意次も失脚していますね

 

このように開国派はことごとく 捕らえられるか処分されてしまっていくのです

 

それでも オランダだけとは交流がありましたので そこから入る情報を頼りに

色々な研究を行い 又近代化を目指すべきだと主張する学者も多く出ましたが

これまたことごとく捕らえられたりしたのです。

 

当時の幕府は 徳川家を守ることが何よりも大切な事でしたから

余計な学問などする必要ありませんし 外国の情報などはもっての他で

そのようなモノが一切耳に入らない体制つくりをして 自分達もその上に

胡坐をかいてしまっていたのです

 

これでは 正しい情報の分析など出来るはずがありませんね

 

保守的になり頭はカチカチに固まってしまうのです。

これは 現代のわれわれの時代も同じことで

今までと違う流れが来てしまうと うろたえたり戸惑うばかりで

出来ない理由ばかりを探しまくります

 

これでは 進化することが出来ません

 

我が社にNPSの指導員が来ると言うときも 我々にとっては当時の黒船の

感覚でした

ただただ 恐れおののくばかりでした

 

しかし

その一声 江戸時代で言えば 大砲の音を聞いた瞬間私は

閃いたのです

 

これは 抗っても意味がない 当時の井伊大老の様に周囲の反対はあっても

例え朝廷の許可が降りなくても 日本国を守るために 大英断を行い

開国に向けて当時としては前代未聞の朝廷の許可なくアメリカへ開国の約束をしてしまうのです。

 

まさに この時の大老の心境になったのでした

 

という事で

新しい局面へとこのブログも進まなければなりません

 

その

時の対応策は なんだったのか?

 

まだ IT時代を迎える遥か前

私が若干28歳の頃の話です

 

その話はなんなのか???

 

それは

 

明日に続く、、、。

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