EXECUTIVE BLOG
2024.2.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 私も不勉強でしたが
フィリピンの人達が とても日本に友好的だったと言う話でした。
毎年10月25日になると 特攻基地があった場所では
慰霊のためのパレードが行われていたのです。
日本では 全く報道されないので 知りませんでしたが
彼らは特攻隊の精神に敬意をはらい また戦死した特攻隊員の慰霊を
いまだに行っているのです。
同じことを今の日本人が行おうとしたら 戦争賛美者のような扱いをうけてしまうと思います。
日本では「日本軍はアジアで酷いことをしていた」と教えられます。
しかし
現地の人々にとって、日本軍は植民地支配を続ける欧米諸国からの「解放軍」として目に映ったといいます。
第2次世界大戦前、世界の多くが欧米列強の植民地であり、被征服民は人間の尊厳も奪われまさしく奴隷として酷使されていました。
それこそ、教育も施されずに、馬や牛のように働かされていたといいます。
そんなところにやってきて、彼らを解放しようとしたのが、
同じアジアの民族である日本軍だったのです。
日本が大東亜戦争を戦った理由は自存自衛とアジアの解放に他なりません。
戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、
「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、
難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」
と書き記しています。
この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしていると思います。
また あるお年寄りは
「この島のお年寄りたちは、
『戦後やってきたアメリカは、たしかに援助はしてくれた。
けれど、気づけばビザとハンバーガーとペプシコーラを与えられるだけで、
島民はおかしくなってしまった。ところが比べて日本時代は、
確かに日本人は厳しかったが、モノをただ与えられる今に比べてほんとうに幸せな時代だった』と言ってますよ。
皆、日本時代を懐かしがっているんですよ…」
と語っていました。
働くことや学ぶことに日本人は厳しかったが、
そこには現地の人々の暮らしを向上させようとする“愛”があったのです。
だからこそ日本時代を知る年配者は、日本時代への郷愁を感じているのだと思います
決してアジア諸国を日本は植民地化しようとは考えてなかったと思います。
それで 占領した地域の人から強奪したり 若い女性を襲ったりはしてなかったのだと
思います。
しかし これが 今のウクライナでも行われていましたし 第一次世界大戦でのソ連の
行為によって 多くの孤児も産まれてしまいました、
それに対して 日本はどのような対応をしてきたのか???
は
明日に続く、、、。