EXECUTIVE BLOG
2021.12.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
太平洋戦争の幕開けとなった
ハワイ真珠湾攻撃の話でした。
この攻撃は 奇襲戦法でした。
奇襲とはそもそも
敵の予期しない時期・場所・方法により組織的な攻撃を加えることにより、
敵を混乱させて反撃の猶予を与えない攻撃方法を言うのです。
敵の混乱に乗じて士気を減衰させ、より大きな損害を与えることが期待できる。
という事で
真珠湾攻撃は 米国の予期しない 時期場所と方法で 成功したと 日本側は
思っていましたが
実は そうではなかったと言う事が 後に判明するのです。
それは
昭和16年7月25日にハワイでアドバタイザー紙が真珠湾が空襲を受ける可能性があるという特集記事を発表した事からも分かりますね。
そして驚くべきことに
米の無線監視局の局長ジョセフ・ロシュフォートは以下のように述べています。
「われわれは彼らの資金も燃料も貿易も断ち、日本をどんどん締め上げている。彼らには、この苦境から抜け出すには、もう戦争しか道は残されていないのが、わかるだろう」
と
日本軍は攻撃するしかない、やってくるとしたら「真珠湾」と誰もが見ていたわけです。
11月になるとジョセフ・ロシュフォートは太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将に日本艦隊が東へ向かう動きを報告し、
キンメル大将は演習第191号を発し11月23日より日本機動部隊を捜索していたのです。
ただ、アメリカ政府としてはアメリカ市民が戦争を嫌がったので、
どうしても最初の一発は
日本に撃たせてある程度の軍事的損害は覚悟しなければなりませんでした。
そこで空母だけは逃がした・・・という説があります。
たしかに11月26日に
米本国からハワイ宛に陸軍の追撃機を航空母艦を使用してウエーク島、ミッドウェー島に運ぶように指示が出ていたのです。
11月28日に空母エンタープライズが真珠湾を出向し、
12月5日に空母レキシントンが出航しています。
このとき、最新鋭の軍艦が護衛しています。
これらを見ると確かに空母と最新鋭艦を真珠湾から逃したと言えるのです。
あるいは真珠湾目指してやってきた日本軍を背後側面から攻撃する意図もあったのかもしれません。
準備万端だったという事になります。
そして12月8日、日本軍は米国のたくらみも知らずやってきました。
米は最初の一発を撃たせるのが目的だったのです、
その一発は大きな一撃となりました。
驚くべきことに
この頃の米国人の日本人に対する認識は
「出っ歯で近眼」だったのです。
今であえれば 差別発言と言える内容ですね
そして
更に 驚くべき認識があったのです。
今の日本人が聞いたならば
誰もが 怒り出すような内容です。
その
当時の米国の日本人に対する 認識とは???????
それは????????????
明日に続く、、、、。