EXECUTIVE BLOG
2023.5.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 神様の話から 十字軍への話になりました。
神様の教えを守る人たちが お互いの主義の為に戦うのはどうかと
思います。
それに比べると 日本の宗教は寛容で 神様も仏様が争うことなく
共存しているのが素晴らしい事だと思います。
古来日本は 神様を崇めて来ましたが 日本史で習ったように
西暦538年に仏教が伝来して それから日本中に広まっていく事になりますが
それで 神社をぶっ壊せとはなりませんでした。
この事を神仏習合と言うそうで これが日本の伝統になっています。
例えば 日光東照宮ですが
ここは神社なのか寺院なのか分からくなる事があります。
それは最後に「宮」がつくので神社かな?とも思いますが、五重塔があるので
寺院のような気がするぞとも思います。
一緒に世界遺産登録されている「輪王寺」や「二荒山神社」は
寺として神社として一緒に登録されているのです。
日光の東照宮に祀られているのはご承知の通り徳川家康ですね、
家康の死後のおくりなとしての諡号は「東照大権現」です。
権現とは、「権」の姿で「現」れるという意味で、仮の姿で現れると言う意味になり
仏さまが神の姿で現れるという神仏習合の考え方からきているのです。
なんと仏様が神様になって現れると言う意味になるのですから
このように柔軟に考えられる日本人は素晴らしいと思ってしまいます。
大陸から仏教が伝わってきた時、
日本人はそれまで信じてきた日本古来の神々とどう折り合いをつけたらよいかと
考えた末に神道の神々は仏さまが仮の姿で現れたものだと解釈することにしたのでしょう。
それで「東照大権現」は、
「東から人々を照らす権の姿で現れた神」という意味になるのです。
ただ、仏教において東方から人々を救う光りを放つのは、薬師如来なのです。
正式名称は、東方薬師瑠璃光如来と言うそうです。
家康は、母のお大の方が鳳来寺の薬師如来に祈願して授かった子との伝承があり、
薬師如来の生まれ変わりだと考えられてきました。
それで東照宮の有名な陽明門の近くに、薬師如来が祀られる本地堂があるのです。
東照大権現である家康の「本来の姿」が祀られているため本地堂と呼ばれています。
日光東照宮にはこのように神道と仏教が混在していましたが、
明治政府の神仏分離令によって仏教の要素が切り離されました。
しかし、
長く続いてきた信仰がそんなにすっきりと分けられるはずもなく、
本地堂や五重塔などの仏教の要素が残されていると言う事になります。
明治になり 政治的に日本は 神の国であると方針にはなりましたが
日本の文化の中には多様性を受容する素地が古来から続いているのです。
この日本人の多様性を見習えば 宗教戦争や民族戦争など起こらなくなるのでは
と思い、今度のサミットでも 岸田総理はリーダーシップを発揮して頂き 世界を平和に導いて頂きたいものだと思います。
今回の仏教の事の話に続きますが
先日 普段通る所で 仏教に関するあるモノを見つけてしまいました
何度も通っていたところなのですが
ある日 なんでここに こんなものがある?? と思ったのです
それは
何だったのか?????
は
明日に続く、、、。