EXECUTIVE BLOG
2024.2.20
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
太平洋戦争の激戦地 テニアンが米軍の手に渡ってしまって
そこを拠点として B29の出撃基地となり
そこから あの悪夢の原子爆弾を搭載した エノラゲイ号が 飛び立ったと
言う話でした。
戦後も80年も経つと 原爆を落とされた事も忘れてしまってる方が多い気がします。
そして 原爆投下計画の都市が 広島 小倉 新潟 京都だったと言われていますが
何故 京都が候補地から外されたのかと言うと
当時の米軍の戦争長官が 昭和の初めに 京都へ新婚旅行をした際に その美しさに
魅了されたから その地に原爆を落とすなとと トルーマン大統領に進言したと言う話が残っています。
しかし これは 後付けの美談ではと私は考えています。
前にも書きましたが 日本人の 仇討ち敵討ちの精神は 米国も研究していたと思います。
仇討ちと復讐心は違うと前にも書きましたが
戦後の占領軍の政策で 日本人に復讐心が起きないように いろいろ手を尽くし
それは 成功しましたが
もし 日本の朝廷があった 京都を灰にしてしまうと 日本人の仇討ちの心が沸き起こり
占領政策も実行できないと判断したのではと思います。
そして 米軍が 何が何でも 原爆の威力の実験をしたかったのだと思います
それで 昨日の続きですが 空襲警報が鳴り響いた広島市民は 防空壕などへ避難しましたが その後 エノラゲイ号は 上空を一旦通り過ぎて 京都方面へ向かうように
見せかけて 再び広島に戻ったのです。
それにより 空襲警報解除後 防空壕から出て来た多くの人々が犠牲になってしまったのです。
これを見ますとなんと卑怯な手をつかったのか?? と思わざるを得ませんが
米軍としては 原爆によって どれくらいの被害が起きるのかを研究したかったのです。
要するに人体実験を行いたかったのだと思います。
戦後 戦争を早く終わらせるために 原爆を使用したと理屈をこねられ
長崎のある代議士は 原爆投下は仕方なかった と発言して 批判されていました。
本当に 原爆投下で戦争が早く終わったのか??? と思いますが
米国空軍の将軍は 後に
原爆投下が戦争を早く終わらせるためではなかった
というのは、米軍関係者の発言からも分かります。
米国空軍のカーティス・ルメイ将軍は、
「戦争は、本来、ロシアの侵入なしで、そして、
原子爆弾なしで2週間で終わっていました。原子爆弾は、全く戦争の終わりと、
関係がありませんでした。」
と語っているのです。
広島への原爆投下で 十分威力は分かるのに
何故 その後 長崎にも投下したのか???
広島への投下の原爆と 長崎へ投下した原爆は
実は 種類が違うのです。
この事からも 恐ろしい企てが見えてきますね
それは????
明日に続く、、。