EXECUTIVE BLOG
2024.3.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 立教大学が 六大学野球に加盟するに至る話でした。
次は 何故東大が???の話に進まなければなりませんが
昨日仕入れたネタで 立教に関する話を少し、、、。
立教大学野球部のユニフォームは、長い歴史を持っていますが、
ユニフォームの変遷とその背後にある理由を紹介します。
立教大学野球部最初のユニフォームは、黒地に白で「STPC」と書かれていました。
これは「St. Paul’s College」の略称でした。
創部当初、知名度が低かった立教大学野球部は、
「スイート・ポテト・クラブの略か?」とからかわれることもあったそうです。
そして
大正9年頃からは「RIKKIO」の文字が胸に入りました。
この表記は、立教大学の正しいローマ字表記である「RIKKYO」ではなく、
「RIKKIO」になっていました。
今 考えてみますとおかしな表記だと思いますが
理由は、当時のローマ字表記で「きょう」は「KIO」と表されていたためだったのです。
また、「RIKKYO」ではバランスが悪いため、「RIKKIO」にしたとも言われています。
ちょっと興味を持って表記を見るだけで 色々な事が分かって面白いですね
ついでに 何故 立教のユニフォームは 縦縞なのか??? にも興味を持って見ましたら
昭和28年春のシーズンに、立教大学野球部は20年ぶりの優勝を果たし、この時に縦縞のユニフォームを初めて着用しました。
これは 当時大リーグの強豪チームの ニューヨークヤンキースのユニフォームを真似たそうで、当初は反対意見もあったものの、
当時の佐々木順三総長の
「野球はユニフォームでやるのじゃない。君たちの気持ちさえしっかりしているのなら、強そうなユニフォームも面白いじゃないですか」
という言葉で採用されたそうです。
そしてこのユニフォームを着て試合をしたことで、選手たちは一丸となり、春の優勝につながったと言われています。
ユニフォーム一つを見ても 色々な歴史が隠されているのです。
いつも 色んな事に興味を持つことが大事だと私は言ってますが
興味を持つことから色々な意味が理解できると思います。
では 先のユニフォームの話しではないですが
何故 立教大学は 別名 セントポールと呼ばれているのか???
大学の応援歌にも セントポールが出てきますね
https://www.youtube.com/watch?v=qBboBbxndaA
応援歌の中に 英語が出て来るのは 立教大学だけではないでしょうか???
では 何故 立教大学が 立教と言う名になったのか???
何故別名 セントポールなのか????
は
明日に続く、、、。