
EXECUTIVE BLOG
2026.10.20
高光産業株式会社
妹尾八郎です
ヨーロッパには、毎年11月になると、
夜の墓地が無数の灯りで埋め尽くされる国があります。
その国は、ポーランドです。
日が暮れる頃になると、墓地のあちらこちらに、小さな灯りがともり始めます。
赤や黄色、白い光。
やがて、
その灯りは数百、数千と増え、広い墓地全体が、
まるで星空を地上に映したかのような光景になるのです。
その写真を見たとき、私は何とも美しい光景だと思いました。
しかし、不思議なことに、
そこにはお祭りのような華やかさとは違う、静かな温かさが感じられます。
いったい、何のための灯りなのでしょうか。
昨日、ハロウィンという名前が、
11月1日の「諸聖人の日」の前夜を意味することをご紹介しました。
実は、その翌日の11月2日にも、特別な意味があるのです。
「万霊節」、あるいは「死者の日」と呼ばれる日です。
11月1日は、キリスト教の信仰において、
知られている聖人も、名前の知られていない聖人も含め、
すべての聖人を記念する日です。
一方、11月2日は、
この世を去った人々のために祈る日なのだそうです。
似ているようで、意味の異なる二つの日。
では、なぜ、この二つの日が続いているのでしょうか。
調べていくと、
今から千年ほど前のフランスに、一人の人物が登場します。
その名は、オディロン。
フランスのクリュニー修道院で院長を務めた人物です。
当時のヨーロッパでは、
戦争や疫病、飢饉などによって、多くの人々が命を落としていました。
今のような医療も、社会保障も整っていない時代です。
人の命は、現在よりもはるかに厳しい環境に置かれていました。
そんな時代に、
オディロンは、亡くなった人々のために祈る特別な日を設けました。
それが11月2日だったのです。
正確にいつ始められたのかについては諸説ありますが、
10世紀末から11世紀にかけて、
クリュニー修道院の取り組みとして広まり始めたとされています。
やがて、
その習慣は他の修道院へ、そしてヨーロッパ各地へと伝わっていきました。
私は、この話を知って、一つのことを考えました。
歴史には、立派な功績を残し、後世まで名前が伝えられる人がいます。
しかし、
世の中の大部分の人々は、歴史の教科書に名前が載ることはありません。
毎日畑を耕していた農夫。
家族のためにパンを焼いていた母親。
病気の人を看病していた人。
誰かのために懸命に働きながら、一生を終えた人たちです。
その人たちにも、それぞれの人生がありました。
喜びもあれば、悲しみもあったでしょう。
大切にした人もいれば、かなえられなかった夢もあったはずです。
しかし、時代が過ぎれば、
その名前さえ分からなくなってしまうことがあります。
そんな人々のことも忘れずに、祈りを捧げる。
オディロンが広めた習慣には、そのような意味も感じられるのです。
そして、この歴史を知った後で、
もう一度ポーランドの墓地の写真を眺めてみました。
ポーランドでは現在も、
11月1日の諸聖人の日を中心に、多くの人々がお墓を訪れます。
墓石をきれいにし、花を供え、灯りをともす。
遠くに暮らしている人も、
この時期には故郷へ帰り、亡くなった人のお墓を訪ねるそうです。
墓地に並ぶ無数の灯り。
一つ一つの光には、それぞれに違う人生の物語があるのでしょう。
ある灯りは、若くして亡くなった人のためかもしれません。
ある灯りは、長い人生を歩み終えた人のためかもしれません。
そして中には、
もう訪ねてくる身内もいなくなった、古いお墓もあることでしょう。
それでも、町の人々が集まり、墓地全体が美しい光に包まれる。
そこには、
亡くなった人々を大切にする文化が、今も確かに息づいているのです。
私は、ここで少し考えさせられました。
私たちは普段、どうしても目立つ人や、大きな成功を収めた人に注目しがちです。
歴史を学ぶときも、王様や将軍、偉大な発明家などに目が向きます。
もちろん、そうした人々の功績を知ることは大切です。
しかし、その時代を本当に支えていたのは、
名も知られていない大勢の人々だったはずです。
立派な城を建てた王様の名前は残っていても、
実際に石を積み上げた職人の名前は、ほとんど残っていません。
美しい街並みを造った人々も、そこで暮らしを営んだ人々も、
いつか歴史の中に埋もれていきます。
けれど、その人たちが生きていたからこそ、次の時代が生まれたのです。
歴史とは、名前を残した人たちだけが作ったものではない。
名前を残さなかった無数の人々の人生が積み重なって、
今日という日につながっている。
そんな当たり前のことを、私は改めて感じました。
そして、もう一つ思ったことがあります。
人が生きた証しは、
必ずしも立派な記念碑や、大きな建物として残るものばかりではありません。
誰かに教えてもらったこと。
困っていたときに助けてもらったこと。
何年たっても忘れられない、何気ない一言。
そうしたものも、人から人へと受け継がれていくのでしょう。
千年近い昔、
一人の修道院長が広めた習慣が、今も多くの人々の心を動かしている。
そう考えると、
人間の営みとは、何とも不思議で、素晴らしいものだと思います。
私はまだ、最初に店先で見かけた、あのかぼちゃのことが気になっています。
なぜ、かぼちゃに怖い顔を彫り、その中に灯りをともすのでしょう。
実は、そこには、天国にも地獄にも行けなくなった、
ある男の奇妙な伝説が隠されていました。
その男とは??????????
の話しは
明日へ続く、、、、、、、、。