EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2021.10.27

興味は尽きぬ

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

今日も昨日からの続きを書かなければなりませんが

 

このブログ 毎朝起きてから書いているので

何の下書きも無く 昨日からの続きが何だったか? も

覚えていないような状態で書いているので

纏まりもなく 誤字脱字ばかりで申し訳なく思っています。

 

本来であれば ITに関する話や そこから特許取得からサーボス開始までの

話を書くつもりでしたが

いつの間にか 脱線して 歴史話に逸れたりしています。

 

歴史の話は結果が分かっているので 書きやすいのですが

発明に関する話は これから起きそうな事を考えて ビジネスモデルを企画するのですが

新しい話は 今までの常識ではあり得なかったことなので それを どの様に表現すれば

分かりやすくなるのか? で いつも頭を痛めています。

 

しかし 一昨年の6月ころから SEO対策の目的で始めた このブログも

振り返ってみますと 文字数にして 先日100万文字を超えました。

400字詰め原稿用紙にすると 2500枚と言う数になることに 改めて驚いています。

 

毎日書くのだと決めていますので 何が何でも続けなければならないのですが

なかなか ネタが浮かばないのです。

 

それでも ある一つの事を書いていると そこから 波及して色々な事が出て来るのものです。

そこには 何事に対しても興味を持つことが重要なのではと思っています。

 

そこに あったものが何故無くなったのか? 無かった所に 何故それがあるのか?

 

普段考えてもみない事を考えてみると 色々なものが見えて来るものです。

 

先日も書きましたが 普段何気なく歩いている道路の名前が

「疎開通り」 という事を発見した時は  何故今まで気が付かなかったのか? と

思うと同時に 何故そんな名前なのか?? とも思ってしまうのです。

 

それから調べてみると そこには 色々な物語がある事に気が付くことができ

それが 楽しみの一つとなっているのです。

 

それで 先日からの続きで 日露戦争の事を書いていると

何故 日本軍は 203高地を攻めたのか? 何故旅順港攻撃をしなければ

ならなかったのか?? とか 色々次々に興味が湧いてくるのでした。

 

そして そこから 広瀬中佐の話が出て来て その広瀬中佐と 部下の杉野兵曹長の銅像が 万世橋駅前にあったことが分かり その撤去に際しては ある理不尽な理由からだったことも分かってくるのです。

 

そして この万世橋駅自体も 時代を経てその役目が終わり 廃駅になってしまうのです。

 

しかし 次に

この駅があった場所の万世橋の事で ある不思議なモノが浮かび上がってきたのでした。

 

その前に 何故橋の名前が万世橋になったのか??
を考えだすと それも又誰がどうして名付けたのか? と興味は尽きなくなるのです。

 

この橋は1873年(明治6年)に、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したそうなのですが、次第にまんせいばしという音読みが一般化したそうです。

橋の話となると 大阪の心斎橋や淀屋橋などが有名ですが その名の謂れについても

書きたいのですが またまた 話が大きく逸れそうなので

今日は この万世橋の 謎の地下室の話に続かなければなりませんでしたが

 

実は この謎の地下室は 先般役所も調査に入ったのですが

 

結局 謎は謎のまま調査は終わってしまったのです。

 

しかし

諸説いろいろあるようで

 

その諸説とは????

 

については

 

明日に続く、、、。

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